とある元SEの思考を探る

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「ありのまま」とはなんだったのか。ファンキー加藤さんのW不倫報道に思う。

今年になって不倫だの浮気だののニュースが飛び交っています。

最近でもファンキー加藤さんのW不倫が報道されました。

 

ただ、こういう報道になると、たいてい不倫を非難する報道になることに対し、そろそろ憤りを覚えてきたのでここに書きます。

スタジオも街の声も、不倫をした人に対しては非難の嵐。ファンキー加藤さんの女性ファンも「許せない」「残念」「あの歌詞に書かれていたことはなんだったのかなと思う」といった発言をしています。

 

私は、正直今回の件に関しては、当事者同士の話し合いの中で子供を認知し、養育費も払い、またファンキー加藤さんも今の奥さんと離婚する予定はなさそうですし、当人たちの間で解決された問題であると思うので、外野が何かいうのはお門違いなのではないかと思います。

 

芸能人に対していろんなイメージを持つのは自由です。そして、芸能人は持たれたイメージで稼いでいます。不倫や浮気をしたことでその後の自分の仕事がどうなっていくかというのは、自分の責任ですし、それに関して騒ぐのはどうかなと思います。報道するにしても少しにして、もっと政治や経済や世界の出来事など重要なことはあると思うのでそちらの報道に時間を費やしてほしいというのが私の本音です。

 

そして、このような不倫・浮気報道に思うのは、2年前アナと雪の女王で「ありのまま」が流行ったのはなんだったのかと。

自分は「ありのまま」で良いんだ!という肯定的な意見が多く聞かれました。しかし、今回の不倫に対して非難をするのを見ると、自分に対しては「ありのまま」でよくて、他人に対しては「ありのまま」ではよくないというダブルスタンダードが見え隠れします。

私は、不倫も含めて、他人を受け入れるべきだと思っています。芸能人でも変わりません。ファンキー加藤さんの楽曲はFUNKY MONKEY BABYSの時代から聞いてきましたし、これからも聞くと思います。歌詞の中で歌っていることと現実に齟齬があるという人もいるかもしれません。歌詞の中では「一途な愛」を歌っているのに・・・。という人もいるでしょう。しかし、それはすべて個々人の解釈次第です。一途な愛はただ1人への愛とは限りません。

勝手に芸能人に対して特定のイメージを持ち、「残念だ」「許せない」といった感情を持つのはその個人の自由です。それは芸能人に対する非難や攻撃に転換してはいけないと思います。「残念だ」「許せない」とそう思ったのは紛れもない一個人なのですから。

 

もっと大きな捉え方をすると、私は不倫や浮気は、人間は動物なのだから仕方がないと思っています。人間は極度に理性を持ちすぎて感情を置き去りにしてきたきらいがあります。日本社会において不倫や浮気は人間の動物的な本能に従って行動した結果だと思います。まさに「ありのまま」です。

私の同僚にフランス人がいますが、「兄弟はいるの?」と聞くと「たくさんいますよ。ちょっと複雑ですけど」という回答が帰ってきました。フランス社会では、1人の人間が複数の異性と子供を持つことが珍しくありません。

もし、自分の「ありのまま」を受け入れてほしいのであれば、私は他人の「ありのまま」も受け入れるべきだと思います。

 

私はここ何年も人を好きになったことがありません。そもそも人と関わるのが好きではありません。私のように人を好きになれない人からみれば、どんな形であれ人を好きになれるということは素晴らしことです。それは時として人を傷つけるかもしれません。しかし、それも含めてその人を好きになったのだと思うしかないと思います。それが人を好きになるときの責任なのではないでしょうか。

 

個人的には日本社会はもっと浮気に寛容になって良いと思うし、少子化を考えると一夫一妻制を放棄する時期に来たと思っていますが、これはまた別の機会に。

 

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