とある元SEの思考を探る

ひょんなことからとあるICT企業ではたらくことになったなんちゃって元SEがしたためるブログ。主に、政治・経済・社会問題・日常の出来事について発信していきます。お読みいただけたら、感動にむせび泣くほど嬉しいです。よろしくお願いします。


誰も語らない少子化の真実②

前回の記事に引き続き、少子化の真実について記述したいと思う。まずは、前回も載せたこの図から。

勘付いている人もいるかもしれませんが、めちゃくちゃ男目線でこの図は作られています。あしからず。だって男だもん。

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まとめると、以下の5つが原因と考えられる。

1)化学物質の増加

2)娯楽の増加

3)競争社会の進展

4)社会的要請

5)情報量の増大

6)女性勤労者の増加

昨日のブログでは1)しか述べることができなかったので、2)以降について書いてみたいと思う。

2)娯楽の増加

これは言うまでもないだろう。今はインターネットがあるので、パソコンやタブレットスマホでなんでも楽しめる時代だ。わざわざ、面倒なことをしてまで異性とやろうと思わないということだ。

 

3)競争社会の進展

結婚できるかどうかの以前にモテるかどうかという問題がある。まずは、女性の気をひかなければいけないが、その時に力となるのがテストステロン(男性ホルモンの一種)である。もちろん、理性的には女性が結婚を考えるのは経済力や社会的地位、優しさなどであるが、こと恋愛に関してはやはり男性的であるひとに魅力を感じるであろう。もし男性的魅力がなければ、仮に理性的に考えて結婚相手にふさわしいと思っても、最近の女性は結婚しない。結婚は恋愛の延長にあると考える女性が増えている。昔のように、一度も会ったことない人とお見合いで結婚するというのは現在では稀であろう。マスメディアの影響もあり、恋愛至上主義の世の中なのである。

話を戻そう。競争社会の進展、これは場合によってはモテ度を上昇させる。例えば、スポーツなどで常に競争をしている人はモテると思われる。競争はテストステロンを増大させる。

一方で立派な大学へ行かないと生きていけないよと言われ育った人は勉強を頑張る。勉強などの頭を使う行為をするとテストステロンは減少するという。そして、有名な大学に入り、大企業に入って安定を得ると、さらにテストステロンは減少する。仕事が忙しくなれば、面倒な彼女なんて必要ないと感じる。結果、結婚せず年をとっていく。

こうした男性を好きになる女性であればいいが、こうした仕事人間は最近は好かれない。今の女性は、自分を優しく扱ってくれる男性が好きである。自分だけを特別に扱って欲しいという思いが強い。当然会話も弾んで自分を楽しませないような男性はお断り。昔は、きちんと大学に入って、会社員として勤めていれば、親戚のおばさんが縁談を進めてくれたり、上司が紹介してくれたりといった結婚の仕方があった。本人たちも、今ほど恋愛に重きを置いてないし、世間体も考えるので、まあ悪い人ではないかということで結婚する。これが今はない。完全に恋愛してからの結婚がメインになってしまった。

これは、あまりにも動物からかけ離れた人間には極めて困難なことである。恋愛というのはすなわち、もっとも動物的本能からくるものである。おせっかいおばさんや上司の存在は、動物的本能を忘れている人間が生き延びるための手段だったのではないだろうか(もちろん本人たちはそう思っていないだろうが)。これがなくなった今、結婚できる人が減っているのもうなずける。

 

4)社会的要請

図の中では、「社会的要請」と書いているが、これだけではなかなか要領が得ないであろう。 社会的要請というのはすなわち、セクハラは良くないことであるということである。これに異論は全くない。どんなことであれ、人を不愉快な思いにさせるのは良くないことである。

例えば、電車での痴漢。これは冤罪も多い。映画にもなったぐらいだ。冤罪が多いがゆえに男性はかなり気を遣う。男性専用車両でもあればいいが、なぜか男性専用車両は設定されない。もし冤罪であったとしても、無罪であることを証明するのは極めて困難。本来ならば、疑わしきは罰せずと言われる司法だが、近年はその原則が多く揺らいでいるらしい。検察の報告のままに裁判が進むことも多いのだとか。それだけ裁判官が裁く能力が減っているという(絶望の裁判所)。もし仮に痴漢で捕まった場合、最悪の場合は、会社も辞めさせられ、犯罪者ということで再就職もできない状態になり、社会的に抹殺された状態になりかねない。男は仕事で輝くとも言われるが、これは男性にとっては相当きついことである。万が一そんなことになりかねないよう、男性は当然注意を払う。いっそ、女性なんて好きにならなければ良いのだから、なるべく女性と関わらないようにしようとする。まさしく動物的本能の抑制である。

加えて、今の日本では、保健体育は避妊することばかりを習う。セックスが悪いことであるかの如く教育する。

 

今回は3)競争社会の進展と4)社会的要請について述べた。

このように、男性から見たら、恋愛というのは本当に疲れるものであるし、リスクも大きい。以前の様な日本型結婚システムも崩壊した。一部の人が自由恋愛を求めた結果、未婚者が増え、少子化、人口減、日本の国力の弱体化に繋がっていく。自由恋愛が良い人もいるであろう。だけれども、お見合いで結婚して、それなりに不満はあるものの、それなりに不自由なく暮らすことができて、それが幸せだったという人もいたであろう。声を上げるのは一部の不満を持った人たちである。当然だ。不満が無ければ声は上げない。その一部の人が喧伝し、それがスタンダードであるかの如く社会に蔓延していった。その結果が現在である。

自由は良いことかもしれない。しかし、自由であれば、それが幸せであるとは限らない。自由であることはすなわち責任がすべて個々人にのしかかるということである。今の日本における自由は個々人には少々重すぎるのではないか。重すぎるがゆえに無責任な人が増えてしまっているのではないか。

自由という不幸もあるのである。