とある元SEの思考を探る

ひょんなことからとあるICT企業ではたらくことになったなんちゃって元SEがしたためるブログ。主に、政治・経済・社会問題・日常の出来事について発信していきます。お読みいただけたら、感動にむせび泣くほど嬉しいです。よろしくお願いします。


サプライズ的に誕生日を祝う人の気持ちが分からない

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先日は、私の誕生日でした。

この年になってくると、誕生日なんてもはや嬉しくないのですが、SNSなどでは、お祝いのメッセージも頂き、こんなにたくさんの人に支えられているのだなということをあらためて実感する次第です。

 

この誕生日ですが、私は昔から苦手です。

自分の誕生日はもちろん、他人の誕生日も。

 

やっぱり自分にとって誕生日とは年に1回の特別な日です。だけど、学校や会社に行って、「今日誕生日なんだよねー」なんてわざわざ言わないですよね。でも一方で、気づいてほしい。ちょっとぐらいお祝いの言葉をかけてほしいって思ったりもします。

このなんとも言えない感じが苦手です。

 

また、おめでとうって言われたとしてもそれはそれで困ります。「あ、気を遣って言ってくれてるのかな」とか、「『おめでとう』って言ってくれたけど、この子の誕生日知らない・・・。もしこの子の誕生日が来て『おめでとう』って言わなかったら悲しむのかな」とか思ってしまって、心穏やかではありません。

 

さらに、恋人ができたときなんかは最悪です。もし彼女が誕生日なら、何かプレゼントをしたり、ちょっと特別なデートをしなければいけなかったり・・・。彼女が何が欲しいかなんてわからないし、女性はサプライズ的なものを喜ぶのかもしれないけど、そんなの手間がかかってそこまでするくらいなら別れようって思うし。

 

やっぱり誕生日は苦手です。

 

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極めつけは、なんか企画好きな人が催すお祝い。

たとえば、何かの集まりで、メンバーの誰かが誕生日だってことになったとき、そういうのを企画したい人はサプライズ的にケーキを用意して騒ぎます。だけど、そういうときって、大抵誕生日のどんぴしゃな日じゃなくて、数日ずれたりします。結果的に、じゃあその月の人を全員お祝いしようってなります。

私が2年前に経験したのは、ちょうど私の誕生月でもある6月。その時は、とある選挙のまっただ中でした。その選挙は、候補者は20代。他も大学生や20代といった非常に若いメンバーが多く、社会人の人でも学生的なノリも併せ持つ人たちでした。そこで、とある構成作家の人が電光掲示板をアマゾンかどこかで買ってきて、6月の誕生日の人を次々に表示させるようにしました。

こういうことを企画する人って、たいていお目当ての人がいて、本当はその人だけを祝いたい。けど、その人だけを祝うと、他の誕生日が近い人たちを祝わないのは良くないので、同じ月の人も一緒に祝うことになります。

その構成作家の方がお目当ての方が誰か分かりませんが、とりあえず6月生まれの人は全員電光掲示板に表示されたかにみえました。

 

しかし、そこの私の名前はなく、だれからもそれを指摘されることなく、そのサプライズ的なお祝いは終わりました。

私としては、その選挙の初期の選対メンバーであり、選挙始まってからも、遊説スケジュールの策定だとか、党本部との応援弁士の調整など、そこら辺の秘書以上にお手伝い(もちろん無償で)していたのですが、選挙の時だけ来た党のスタッフや、普段はあまり来ていなくてたまたまその場に合わせた人も名前が挙がったにも関わらず、私だけは名前を呼ばれませんでした。

 

企画をした人は、こうして漏れた人の気持ちを考えることはないのだろうかとつくづく思います。私としては、その候補者のために、研究室を休んでずっとお手伝いさせていただいていました。候補者は終電まで駅に立つので、選対会議はいつも深夜。そこから自転車で帰宅。睡眠をとり、また朝の街頭から手伝うという心身ともに非常に苛酷な状況下で、そのような無碍な扱いをされると、さすがの私でもへこみます。

家に帰って布団に入ってからは一人で泣いていました。

手伝って数日の人の名前は呼ばれたのに、立ち上げからずっと携わってきた私は気づかれなかったというのは、結構つらいです。

選挙はそれじゃなくてもつらいものです。選対会議はたいていもめます。体力的にも限界です。しかも、当時は始発から終電駅立ちする候補者のスタイルもあって、帰りはいつも深夜。でもそれぐらいだったら我慢できます。当選の為ならばこそ意見がぶつかり合うわけです。投票日が決まっているので、体力もなんとかもちます。

でも、存在を蔑ろにされるのは本当につらい。

 

私は、こうしたサプライズ的に誕生日を祝う企画をする人の気持ちが分かりません。こうして傷つく人の気持ちは考えないのでしょうか?

私だったからこそ、翌日もまた手伝いにいったわけですが、他の人なら、そのままボイコットしかねないことだと思います。そうなれば、遊説のスケジュールも立たないし、党本部との調整もできなくなります。選挙で当選することは難しくなったかもしれません。

選挙の当落に影響したことも考えられたのです。

だからこそ私は、どうせやるなら徹底的に参加者全員の誕生日を調べ上げてぬけもれなく祝うべきだと思います。

それができないなら、祝うべきではありません。

誕生日を祝うのは、人を傷つけてまでやることだと思わないからです。

みなさんはどう思われますか?

 

本日も、ここまでお読みいただき、有難うございました。