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とある元SEの思考を探る

ひょんなことからとあるICT企業ではたらくことになったなんちゃって元SEがしたためるブログ。主に、政治・経済・社会問題・日常の出来事について発信していきます。お読みいただけたら、感動にむせび泣くほど嬉しいです。よろしくお願いします。

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ステキ女子に不快を感じる程度にはひねくれている

先日、私が学生の頃からお手伝いしている衆議院議員の講演会のお手伝いを頼まれたので行ってきた。

正直最近はあまり政治のことには首を突っ込まないようにしょうと思っていたのだけど、議員直接電話がかかってきたのと、「中日の伊藤投手の実家が経営する小料理屋を紹介する」との甘い言葉で手伝ってしまった。人使いのうまい議員だ。なお、同日ひらかれた某都議の結婚パーティにもわざわざご本人から誘われたが、会費が8000円という、貧困層一歩手前の27歳(執筆時)には極めて厳しい価格だったのでお断りした。(不参加の本当の理由は、早稲田のノリについていけず、毎回疎外感を感じるため)

あまり乗り気はないかったけれども、ご来場の皆様へは笑顔で案内するし、借りたホールの後片付けも支持されることなく完遂できる程度には仕事はできる。

区議か誰かのインターンか何かでスーツの学生が何人かいたが、まだまだ若い者には負けてられない。秘書やインターンはスーツの中、これが仕事に着ていく服だ!と言わんばかりに堂々とダサい私服で参加した。問題はない。

なお、ダサい私服だが、祖父の実家で叔母・叔父・従兄弟には、「これが東京の最先端のファッション」と言っている。購入したのが私の地元である愛知県であるのは内緒だ。

 

さて、本題に戻ろう。

私がお手伝いした衆議院議員の知り合いにはステキ女子が何人かいる。議員の奥さんは東京の女子大出身で、奥さんの知り合いにステキ女子が多いのだと思う。(奥さんについては、2013年の週刊新潮10月31日号112ページに糟糠の妻として紹介されているので興味のある方は図書館にでも行って見てきてほしい)

もともと国家公務員で今は辞めて弁護士と結婚された方とか、みずほ銀行で営業の第一線で働いていて私生活も輝いている方とかエトセトラ。

先日の講演会でも何名かがお手伝いに来られていて、ステキ女子を間近で見ざるを得ない状況になってしまった。容姿も頭脳も恵まれていて社会的に成功している彼女たちを見るのは、結婚などできない、ましてや人を愛することすらままらない社会不適合者の私には不快に感じてしまう。

容姿も頭脳も遺伝的なもので決まる割合が高い。それは最近立ち読みした言ってはいけない 残酷すぎる真実 (新潮新書)に書いてあった。これを読まずとも、現実にもそれを感じることは多いだろう。

人は生まれながらにして大方の運命は決められているのだとつくづく思う。それに抗うのにはエネルギーがいるし、消耗するだけだ。

しかしながらステキ女子を見るたびに私はこの世の残酷さを直視せずにはいられない。朝礼で校長先生は「人間は皆平等」だと言った。ウソだ。平等だとするのならば、なぜ容姿差別は存在するのか。そして容姿差別は容認されるのか。

 

持つものと持たざるもの。これは確実に存在する。それは皆認めるべきであろう。そうしなければまともな教育などできない。

私は自分の経験から、誰もが東大に入学できる学力をつけることができると思っている。しかしながら、それと同時に、東大に入学するための学力をつけることができる努力の量は人によって違うし、それを全員が完遂できるとも思っていない。人によって、頭の出来は違う。これは教員ならば誰もが感じることであろう。私も、4年間ほど個別指導塾で補習をメインに中学生を見てきたが、同じ親から生まれた兄弟でも性格も違えば学力も違えば、努力できる量も違う。

 

人は生まれながらにして不平等なのだ。

 

しかし、全員が容姿端麗で能力が高ければ、それはそれで世界の秩序は保たれないのではないかとも感じる。私のような不細工がいるから容姿端麗な人は容姿端麗たるし、私よりも勉強ができない人がいるから私は大学に合格できた。

長く社会に貢献している会社は経営陣はそれなりに頭の切れる人がいるが、その下で働く人は、与えられたルーティンワークを淡々とこなす人が必要となる。それには、あれこれといろんなことを考える人ではなく、与えられた職責に対し疑問に思うことなく実直に実行できる“頭の切れない人”が必要だ。

その意味で私は不細工も容姿端麗も頭のきれる人もそうじゃない人も社会には必要な存在であると思っている。

 

だから、職業に貴賎はないと私は思う。

 

しかしながら、年収には目に見える形でその結果が現れてしまう。

現実には貴賎が存在してしまっていることの表れに他ならない。

 

そうした生まれ持った不平等を少しでも是正するための「給付付き税額控除」や「ベーシックインカム」といった考え方は私は賛成だ。

私のように貧困層一歩手前でも生活ができている人はまだいい。中には先天的に慢性疾患や障害を抱えていて職に就くことができない人がいる。職につけても満足にできず、自立して生きていくのに十分な給与をもらえない場合もある。

その人たちは生きる価値がないのか。私はそれは違うと思う。人は生まれてきた以上、生きることができる。しかし、現代の貨幣経済ではお金を稼ぐということは生きることとほぼ同義であり、先天的な理由でお金を稼げない人には生活ができるように助け合っていかなければいけない。それを知り合いがいない、身内が少ないなどの理由で助け合うことができない人が出ないように政府が存在する。

 

特定慢性疾患を持つ人や分かりやすい形での障害者はすでに何らかの形で手当てがある。しかし、これは明確に分けられるものではないであろう。先天的に障害があっても乙武さんのように結婚して立派に稼いでいる人もいる。(たまにハメを外してしまうらしいが)

 

だから私は障害の有無は重要ではないと思う。

もうその指標はその人がどれだけ稼ぐことができるかということに尽きるのではないか。

だから私は、国民の所得を正しく把握し、適切に社会保障を行き渡らせるためのマイナンバーには賛成だし、給付付き税額控除にも賛成だ。(それ以外のことに乱用されるならば反対だ)

 

そんなことを思いながら誕生日を迎えます。

本日もここまでお読みいただき、ありがとうございました。

(だれかこんな社会不適合者を拾ってくれる女性はいないものか・・・)