とある元SEの思考を探る

ひょんなことからとあるICT企業ではたらくことになったなんちゃって元SEがしたためるブログ。主に、政治・経済・社会問題・日常の出来事について発信していきます。お読みいただけたら、感動にむせび泣くほど嬉しいです。よろしくお願いします。


眞子さまと佳子さまの報道格差に考える容姿差別

佳子さまの報道はすごいですね。

今日も、初めての宿泊での公務ということで報道されていました。 

www.huffingtonpost.jp


昨年成年皇族になられた佳子さまですが、姉の眞子さまのときは、こんなにも報道があったでしょうか?

私はあまり記憶していません。

 

眞子さまと佳子さまの報道に関しての記事もありました。

www.j-cast.com

ブータン国王夫妻が来日した際の晩さん会に出席された眞子さま。その際の、眞子さまに関する報道はほとんどなかったそうです。

 

なぜ、姉妹でこれほどまでに報道に差がでるのでしょうか?

立場もほぼ同じなのですから、メディアは御二方を同じように報道すればいいのではないでしょうか。

 

私は、この決定的な違いは、お二方の容姿にあると思います。

もっと言ってしまえば、佳子さまは、眞子さまと比較して、世間一般的に人気がある容姿をお持ちであるということ。

 

すなわち、この御二方の報道格差は、容姿。

 

容姿差別という言葉もありますが、メディアがこのように明らかな差別をしているのですから、容姿差別は世間的に許容される傾向が強い気がします。

たとえば、就職の際の採用面接でもそうです。例えば、企業が会社の受付の人を募集する際には、美しい女性の方が採用される確率は高いでしょう。もっと言えば、アイドルや女優は、圧倒的に容姿が整っている人が多いです。

容姿というのは、遺伝的要素が強いものです。本人が努力してどうにかなるものではありません。

 

差別は良くないと道徳の授業では教わるかもしれませんが、こと容姿差別に関しては、だれもしているのです。むしろ、メディアが率先して容姿差別を牽引しているのです。

 

でもそれは仕方がないことです。

佳子さまは人気があります。人気があれば、数字(視聴率、雑誌の売り上げ)がとれます。だからこそ、メディアは容姿で差別します。

これが資本主義ということなのかもしれません。

 

私を含め、容姿に恵まれなかった人は、その社会的な差別を受け入れて生きていく必要があると言えます。

眞子さまと佳子さまの報道の違いから言えることは、この世から差別はなくならないということです。

 

私は、今の佳子さまフィーバーを報道するメディアがなぜ批判されないのか、不思議でなりません。

 

P.S.

個人的には、「私ってかわいいでしょ」という出で立ちで公務をされたり、写真をとられたりしている佳子さまにはあまり良い感情を持っていません。ICUに入学するときも、合格する前から発表するなんて、注目されたいから?あえて自分にプレッシャーをかけるため?

そもそも何のために学習院を中退したのか、何がしたくてICUに入学されたのか、そこがよく分かりません。英語を勉強したいという理由もあると思いますが、英語は手段にすぎません。英語ができて、その先どのように活動していきたいのかというのが大事です。

皇族なので、庶民とは違う世界でいろいろとご苦労もあるのだと思いますが、庶民にはできない経験をされているという意味では、その苦労も仕方がない面があると思います。

日本人なら誰だって一度は、皇族になりたいと思ったことがあるのではないでしょうか。

ここで朗報。女性は皇族になることができます。男性は、皇族になることができません。良く、今の皇室典範では、女性天皇が認められていないから、女性差別だなんて言いますが、女性は誰でも皇族になることができるのに、男性は(生まれたときすでに皇族でなければ)絶対に皇族になることはできません。これは男性差別