とある元SEの思考を探る

ひょんなことからとあるICT企業ではたらくことになったなんちゃって元SEがしたためるブログ。主に、政治・経済・社会問題・日常の出来事について発信していきます。お読みいただけたら、感動にむせび泣くほど嬉しいです。よろしくお願いします。


川崎投手を思う

昨日、テレビ東京系列のSPORTS ウォッチャーを見ていたら、元プロ野球選手の川崎憲次郎の特集があった。

川崎投手といえば、ヤクルトで活躍し、FAで中日に来た右腕で巨人キラーとして有名な投手だ。私は小学生の頃からプロ野球を見ているので、川崎投手についてはテレビでよく見ていた。

ワインドアップ時に右足のかかとを浮かせる投法は真似してみたものだ。

そして打倒ジャイアンツの御旗のもとに星野監督のもとで始った中日ドラゴンズでの川崎投手の活躍は、1年目のオープン戦の怪我で全てなくなってしまった。


今でもその時のことを覚えていて、町の集会所のテレビで見ていた記憶がある。そのときはあそこまでひどい怪我だということはわからなかったが、その後数年シーズンを棒に振り、復活することなく引退することになったのだら、よほどの怪我だったということがわかる。

 

ずっと1軍で投げられないまま2年が過ぎ、川崎投手に再び注目が集まったのが2003年だった。1度も1軍に登板のない川崎投手がオールスターのファン投票で1位に選ばれたのだ。

俗にいう川崎祭だ。

 

2ちゃんねるの住民が中心となって、川崎投手への投票を呼びかけていた。
インターネットでの投票は投票結果にすぐに反映され、ハガキでの票は時間がかかることから、途中結果では1位になっていても最終的に1位になることはないという見方もあった。しかし、2ちゃんねるというインターネット上のコミュニティ発祥だからネット投票だけかと思いきや、球場にも足を運んで投票した人も多く、最終的にも1位となった。(とはいえ、川崎投手へのインターネットからの投票が多かったのは事実である)

実は、私もインターネットや球場にて川崎投手に投票した1人である。

なぜか。

2003年、私は中学3年生だったのだが、あの年は今までにないくらいナゴヤ球場に足を運んだ年だった。中学生ということもあり、前売りであれば100円で2軍戦を観戦できたのである。週末にナゴヤ球場で試合があれば必ずと言って良いほど観戦に行っていた。受験生なのにである。

2003年には、川崎投手は2軍では実践登板を何試合もしており、2軍では悪くはない結果を残していた。
1軍で活躍できるかどうかはともかく、もうすでに投げることができる状態であったのである。
何試合か2軍で投げたのであるから、私は川崎投手を1軍の試合で見たかった。もし仮に打たれても構わないから1軍で見たかったのである。ナゴヤ球場で川崎投手の登板を何回も見ていた私は、その思いが強くなって行った。
もしもう1軍での活躍が見込めないのであれば引退という決断もできたはずだ。しかし、ペナントレースは生き死にを争う戦場。万全でない投手が投げるのをためらうのは理解できる。

ならば、オールスターはどうであろう。オールスターはペナントレースと違い、ある種のお祭りだ。そして川崎投手は沢村賞を受賞した名実ともにスターなのである。その意味で必ずしも結果を残している選手しか出れない試合ではないし、私は、オールスターが川崎投手の引退試合になっても良いとさえ思っていた。

それほど、2003年というのは川崎投手にとって復活にかけて大事な年だったと思う。早く1軍に上げて欲しかった。打たれても良いから上げて欲しかった。ナゴヤ球場に足繁く通い、川崎投手の登板を何度も見て来たからこそそう思ったのである。

かくして私は川崎投手に投票した。そしてファン投票1位に選ばれた。

そして川崎投手は出場を辞退。2003年も1度も登板することなく2004年を迎えることとなった。4年契約の最終年である。

監督が落合監督に変わった2004年。川崎投手は開幕投手に選ばれる。
2イニングを投げ5失点という結果だったが、チームは勝利。補強という補強をしなかった中日が2004年に優勝した1勝目の試合の1球目は川崎投手の1球から始まったのである。

開幕投手に選ばれたものの2度目の登板となる4月30日にも打ち込まれ、秋には戦力外通告。10月3日の対ヤクルト戦が川崎の引退試合となった。ヤクルト時代優勝も経験した元同僚の古田・宮本・岩本を三者連続三振に切ってとり、両チームから胴上げされた。

私は、開幕投手として川崎投手を見ることができ、結果は出せなかったものの、選手としてもはや1軍で戦うことのできなくなった川崎投手を目の当たりにした。2軍で苦しみ、もがき、あがきそれでもダメだったのだから、これ以上プロ野球選手として頑張る必要はない。そう思った。このまま1軍で1度も登板することなく引退するのだったら、くやんでもくやみきれないだろう。

川崎投手の頑張りは、中日の若手選手はよく見ていた。それがその後の中日の黄金期につながった部分もあるだろう。
ナゴヤ球場での川崎投手の登板時には、当時これまた怪我で苦しんでいた、中里投手や朝倉投手がバックネット裏でビデオカメラで撮影していた。沢村賞に輝いた右腕の投球術を学びたかったのであろう。

中日では活躍できなかった川崎投手であるが、ファンの記憶に残る投手であった。

昨晩の番組では、その川崎投手の今を知ることができ、地元大分と東京で活躍しているのを見て安心した。また、何らかの形でグラウンドに戻って来てほしいと思う。

4年ぶりの大雪の中の東京の鉄道

2018年1月22日の日中から23日の未明にかけて東京では4年ぶりと呼ばれる大雪が降った。積雪は都心でも20 cmを超えた。

そして、容易に想像できるように交通機関は麻痺し、入場規制がかかる駅が続出。バスに乗ろうとするも長蛇の列で乗ることができない。そんな光景が22日の夕方に見られた。

私の会社でも22日は早く帰宅して良いということになった。15時を過ぎると帰宅の途につく人もいた。
外はこんこんとふる大雪で、私の勤務先のビルの隣は、ちょうど昨年末にビルが取り壊されて更地となっていたので、土や重機の上に雪が降り積もっていた。歩道もみるみるうちに白くなっていった。

勤務先の大手町の話である。比較的東に位置する大手町であるから、西の方はもっと大雪であったことは想像に難くない。

早く帰宅する人が多い中、私は普段通り20時ごろまで仕事をし、駅に向かった。

いや、普段通りといったが少し間違いだ。普段は21時過ぎまでいることが多いので普段より1時間ほど早い退勤である。といっても弊社はブラックというわけではなく、10時出勤であるから、8時間プラス1時間休憩と考えると19時が想定される退勤時刻である。なので21時というのは2時間の残業である。フレックス制が敷かれていて1日あたり8時間以上勤務していれば、19時よりも前に退勤してもいいので、取り立てて遅いわけではないことを会社の名誉のために付け加えておく。

以前の職場では社獣と呼ばれ、24時間チャットに張り付くと言われた私も、文化的な生活を送っているのである。

さて、話を大雪に戻そう。18時ごろ、まだ何人かは会社に残っている頃、「⚪︎△線が止まってるらしいよ」という会話がちらほらと聞こえ、早めに退社した先輩からも、半蔵門線田園都市線が遅すぎて二駅に30分ぐらいかかってるという報告ももらった。

ちなみに私は田園都市線沿いの世田谷の安アパートに住んでいる。世田谷は高級住宅街のイメージが多いが、クオリティを問わなければ安いアパートも多い。古くからの街もあるからだ。

ニュースでも、ツイッターでも様々な駅の入場規制の情報が入ってくる。それをチャットに貼り付けてくる人がいるのだから、否が応でも知ることになる。

私は案の定と思った。多くの会社はブラックと言われないがために、社員に早めの帰宅を促す。会社によっては強制的に帰宅させるところもあったという。
多くの人がこのような思想のもと普段よりも早く帰るとなると駅が混雑するのは容易に想像がつく。

私は今は退社する時期じゃないと強く思った。

そもそも、4年ぶりの大雪といえど、日中に降り積もる雪で電車がストップすることは考えにくい。本数は減るかもしれないが、それでも運行すると考えられるのが普通だ。
なぜなら、東京に降るレベルの雪であれば、列車が運行していれば架線にも軌道にも雪は積もりにくい。雪というものは圧力がかかればとけるし、摩擦熱もあるから、列車が通れば雪は積もらないのである。日中は都心部なら5分に1本程度の電車が走っている。これだけの本数があれば完全に電車が運行できなくなるということは容易に想像できないのである。

私は鉄道会社で5年間バイトしていた経験もあり、確信をもってそう思っていた。だからみんなが足早に家路につくときも、黙って仕事に勤しんだのである。翌日大きなリリースを控えていることもあったかもしれない。そのリリースは、北海道のクライアントである。間違っても積雪20cm程度で出社できないのでリリースが間に合いませんとは言えない。

かくして私は普段通り20時まで仕事をしたのである。普段よりもその時間まで働いている人が少なかったが故に捗ったのは言うまでもない。

そしてそろそろ疲れたから帰ろうかなと思ったころ、私は会社の最寄り駅まで歩いていった。いつも使ってる半蔵門線の駅である。20時ごろでもまだ半蔵門線はのろのろ運転だった。会社の最寄駅でも発車したばかりと思われる電車がホームを出たところで止まっていた。おそらく、渋谷から先の田園都市線の流れが悪いのであろう。

私は田園都市線に乗ることを諦め、近くの銀座線の駅に歩いていった。銀座線は乗り入れがなく、ツイッターでも銀座線は空いているという情報があったので、運行していると考えたからである。

かくして徒歩数分、銀座線の駅についた私は、やってきた黄色い電車に乗り、容易に空席を見つけ、端の席にすわることができたのである。

田園都市線沿いにある私の家の最寄駅に行くには表参道で乗り換えなければいけない。会社の最寄駅での半蔵門線ののろのろ運転を見た私は、半蔵門線田園都市線がスムーズに動いているとは思っていなかったため、表参道から先は時間がかかることを覚悟していた。しかし、表参道の駅構内も人は多くなく、やってきた半蔵門線もガラガラであった。簡単に座ることができた。

入場制限がかかっていた渋谷では多くの乗客が乗ることを覚悟していたが、渋谷もすっかり空いていた。家の最寄り駅まで空いた席がある状態だった。

なんてことはない。これは単に、多くの人が電車がストップすると思って早く帰ったことによる混雑がもたらした混乱だったのではないだろうか。
それが証拠に、2時間程度で田園都市線渋谷駅の混雑は解消されたのである。

改めて思った。今回の日中の雪の程度では、東京の鉄道はストップすることはないと。路線によっては雪の重みで倒木があったり、架線が切れたりして止まることはあるかもしれない。しかし、それは前もって点検しておけばある程度予測できることで、それに関しては鉄道会社の日々の点検を期待するしかない。4年前も京王電鉄が引き込み線の架線が切れたように、運行している架線以外の点検がおざなりになっている場合もあるだろうから、そうした想定はしておかなければいけないが、単なる積雪では容易には電車はストップしないものなのである。

一方で、夜に降る雪は注意しなければいけない。今回私が気になったのは23日の朝の列車の運行状況。23日の未明も雪が降り続いていた。深夜は列車は運行しないので、雪が積もっている可能性があり、除雪車が少ない東京の鉄道会社が対応できるものかと心配していたのである。しかし、ご承知の通り、始発から平常通り運行している鉄道が多くほっとした。
もしかしたら、雪が止むまで夜通し列車を動かしていて雪が積もらないようにしていたのかもしれない。コストはかかるかもしれないが、対応策としては完璧である。

先日の新潟のように短時間で記録的な大雪が降らない限り、4年ぶりとは言え東京に降る雪の程度では、列車は運行し続ければストップすることはないのである。

中には、増発すべきだという意見もあるが、私はこれにはやや懐疑的だ。
例えばこの記事だ。

toyokeizai.net

 

というのも、東京の路線は朝であれば、2分間隔で電車が到着する路線もある。日中でも前述のように5分に1本程度はある。列車の間隔が短くなれば、4年前の東横線の追突の悪夢の再現となるかもしれない。ただでさえ雪の中での運転に慣れていない乗務員がほとんどなのだから、増発によって乗務員の負荷を高めるべきではない。ましてや満員電車ではブレーキの効きはさらに悪くなる。そこまで危険を冒して増発する必要性はないであろう。

むしろ、帰宅を分散させる策を講じたほうが良いであろう。私が帰宅したタイミングではかなり空いていたし、運行もしていたのだから、1〜2時間ほど帰宅を時間をずらしても良かった人は多いであろう。あるいは、朝から出社禁止にするという英断もありだ。
何はともあれ、雪だからといってあわてず、周囲の状況を見て帰宅することが望ましい。都心であればシャワーを浴びれるところも近くにあるだろうから無理して帰宅する必要もない。

私はその思いで普段より1時間ほど早く退社し、自宅の最寄り駅の日本酒専門店で陸奥八仙を愉しんで帰宅の途についたのである。

2017年を振り返る

本来ならば2017年内に書き切らなければいけない類の記事なのですが、筆不精が過ぎて年明けになってしまいました。2017年を振り返ってみたいと思います。

最初に総括として、人生で初めて1年を通して同じ会社に勤めることができました!
2014年4月に社会人となり、2015年8月には2社目に転職、2016年11月に3社目に転職をしたので、これまで一度たりとも1年を通して同じ会社で働いたことはありませんでした。あまり自慢できるような話ではないのですが、今の会社は今の所退職の予定もありませんので、2社目の在籍期間1年2ヶ月10日というのは確実に超えそうです。会社的にも今年が正念場なので、社獣として引き続き仕事をしていきたいと思います。

2月

昨年の前半は、すでに何をやっていたか記憶にないのですが、弊社で使っているRailscssを変更した時のロードが遅すぎる問題があり、sassc-railsを導入し、速度を劇的に向上しました。

4月

弊社でも締め処理的な作業があり、これまではエンジニアがCSVをもらってrakeタスク的な形でその処理を行なっていたのですが、こんな作業を絶対にやりたくないと思い、非エンジニアでもできるようにシステム化しました。今は簿記の資格を持っている契約社員の方がやってくれています。締め処理は往往にして処理数が多く精神的に疲弊する処理を減らすことができて良かったです。

6月〜9月

暗黒の夏でした。某大手企業の受付システムを受注することができ、システム側の担当としてアサインされました。今まで一度もお客様先に行ったことが無かったのですが、久しぶりにスーツを着て山手線の南東にある企業に何度か足を運んだりメールや電話で仕様調整をしたりしていました。
加えて、業務委託のエンジニア2人、QAエンジニア1人と共に働くことになり、エンジニアの進捗管理、仕様確認など業務時間中にソースコードを書く時間がほぼ皆無になった時期がありました。一日中会話していたら時が過ぎている日々です。業務委託のエンジニアの扱いは難しいもので、1人は、単価の割にスキルが極めて低く、最終的に自分が修正する羽目になったり、もう1人はスキルは高いものの休みがちで進捗が遅れ、最終的には社長判断で辞めていただくことになりました。いなくなった分は私の土日稼働やインターンの子にお願いするという形で補ったりしました。
全業務委託に言いたいことですが、レビューでは技術的な指摘は受けない程度の技術力は持っていて欲しいです。Railsで言えば、STIがわからないとか、mapを使えば良いところをeachを使って配列に値を突っ込んでいくとかそういうレベルでの指摘を受けない程度には技術力を身につけてから独立して欲しいものです。

10月

そんなこんなで9月に予定していたリリースも、先方のシステムの改修が間に合わず一ヶ月延期するなどの事象も発生しましたが無事リリース。運用においても若干のミスはありつつもなんとか稼働しております。1日あたり僕のお賃金を上回る程度には収益を生み出してくれております。

11月〜12月

事業部長が変わりました。また、某企業が業界から撤退するということで、ユーザーが別の企業に乗り換える必要に迫られ、弊社もその対応に追われておりました。これまでにないほどのスピードで開発・リリースをした2ヶ月でした。選挙で培った経験があるということから、なぜかエンジニアである私がポスティングの段取りなどを行うことに。焼きそばではなかったので辞めずに済みました。おかげで第4四半期は私が入社してもっとも売り上げが良い期になりました。

 

良かったこと

・少しではあるものの、クライアント対応を経験でき、業務委託のエンジニアのマネジメントも経験することができ、様々な問題は多々あったもののリリースまで持ってくることができました。辛かった。
・内輪な勉強会ですが、Otemachi.rbというところで初めて発表しました。
・よちよち.ktを前職の同僚と始め、なんとか続けることができています。
・前職に在籍していた頃から読み始めた「言語処理のための機械学習入門」を読みきることができました。WIPですが、Qiitaにメモしてあります。
・ゼロから作るdeep learningを社内勉強会で勉強し、最初は7人ぐらいいたところが最終的には3人にまで減りましたが、最後まで読み切ることができました。頭では理解できたので実践に移りたいです。
東京大学グローバル消費インテリジェンス寄付講座の第2期 Data Science Online Courseを受けている同僚に教えてもらいながら、データサイエンスの勉強を始めました。python、numpy、pandas力がじわじわと向上している気がします。pythonは会社でも使っている言語で、データサイエンス、機械学習、DeepLearningを実践で使えるまで昇華し、ゆくゆくはそちらの業務に携わりたいと思っています。

悪かったこと

・今年も秋のIPAの試験(NW)に落ちました。今年が過去最低の合格率とは言え、自分の無能さを痛感しました。
・kotlin力、Android開発力を向上させていきたいですが、業務で使わないのでなかなか上達しないです。自分のリソースをデータサイエンスの方に振っているのである程度仕方がないこともありますが、継続して忘れない程度に月1ではやっていきたいです。
・仕事の忙しさを言い訳にプライベートがおろそかになっています。年齢も年齢なのでそろそろ身を固めたいところです。。

 

最後に昨年のGItHubのcontributionを貼り付けておきます。PrivateとPublic、両方です。

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