とある元SEの思考を探る

ひょんなことからとあるICT企業ではたらくことになったなんちゃって元SEがしたためるブログ。主に、政治・経済・社会問題・日常の出来事について発信していきます。お読みいただけたら、感動にむせび泣くほど嬉しいです。よろしくお願いします。


20年以上アトピー付き合ってきた人のアトピーとの付き合い方

本題に入る前にあらかじめ断っておきます。

ちょうど1年ほど前、大企業たるDeNA傘下のWELQ問題があり、健康系の情報については非常に世間の目が厳しくなっております。

この記事では、私が生まれてこのかた付き合ってきたアトピーについて、20年以上付き合ってきたからこそ感じるアトピーとの付き合い方について述べますが、あくまでも個人的な実際の体験としての記事になり、その正確性が保証されるものではないことをあらかじめご承知おきください。

 

では、本題に入ろうと思います。

私は、物心ついた頃からアトピーで、大人になった今はだいぶコントロールできるようになってきましたが、大学に入って一人暮らしし始めたごろまではかなりひどかったです。小学生の時はさらにひどく、浸出液が出てきて靴下が肌にくっつくような状態でした。

アトピーは就職などで環境が変わるなどで大人になって発症する例もありますし、大人になると改善する場合もあります。私の場合、大人になると改善されるケースであると言えます。

しかし、大学生になって上京してすぐは都会になれていないこともあってか、実家にいるときよりも少しひどくなっていました。

今思うと、大きな要因の一つは食生活です。一人暮らしをし始めたことで、外食が多くなり、お金もないので、安くて高カロリーのものを摂取するようになってきました。特に私の場合、最寄駅の近くにラーメン二郎があり、週に2、3回ほど食べていました。たまに食べる分には問題ないのでしょうが、さすがに週に2、3回は多いです。油の摂りすぎはアトピーに限らないかもしれませんが、健康に良くないことだというのを身を以て感じました。

私の当時の主な治療法は基本的に軟膏を塗ることと、内服薬を飲むことです。私はアトピーの治療には小学生の頃から八戸にある薄場皮膚科に通っていました。薄場皮膚科で検索していただくとわかりますが、1990年代には、メディアでも取り上げられ、アトピーで長年苦しんでいる人は知っている皮膚科です。私の母の実家が八戸にあるということもあり、今でも薄場皮膚科から軟膏を処方してもらっています。内服薬は同じく薄場皮膚科で処方してもらった、ザジテンを当時は飲んでいました。ザジテンは眠気を誘発させるということもあり、今は、ザジテンではなくフェキソフェナジン塩酸塩(アレグラ)を処方してもらっています。

その後しばらくは薄場皮膚科にしか通院していなかったのですが、流れが変わったのが「なぜ皮膚はかゆくなるのか」を読んだ時です。大学生になり、本が読めるようになっていた私は、当時、小説やら新書やら経済やら興味がある分野の本を読んでいて、その中の一冊が「なぜ皮膚はかゆくなるのか」でした。

そこに書かれていたのは、痒くなるメカニズムやその止め方などが書かれており、今まで自らの人体実験的に感じていたことが専門家によって改めて指摘されたように感じました。

著書の菊池先生の医院がある場所が日暮里ということもあり、通院できると思い、通い始めました。そこでわかったことは、初診の場合、マストでやらなければいけないことが2つあり、一つは血液検査。血液中にアレルギーの証拠となる成分(抗体)がどの程度あるかを調べることができ、その人のアレルギー体質を指標化してとらえることができます。もう一つはパッチテスト。特に金属アレルギーのケースがイメージしやすいのですが、肌に2、3日ほど金属や普段使っているシャンプーや洗剤などを当てて反応をみます。私の場合、ミヨシの洗濯石鹸を使っており大丈夫でしたが、多くの人が使用しているであろうア○ックやアリ○ールなどで反応する人が多いようです。私が大丈夫だったミヨシの洗濯石鹸にも反応する人は反応するので、自分が使っている洗剤やシャンプーが本当に体に合っているものかを調べるためにもパッチテストは大切です。

良い皮膚科医の判断する基準の一つとしてとして、こうした血液検査やパッチテストをするかどうかというところが挙げられます。初めてアトピーとしてお医者さんにかかる場合、よほどの軽度ではない限り、行われるべきでしょう。

私の場合、パッチテストでインジウムや白金、クロムなどの金属アレルギーがあることが判明し、虫歯治療で入れた歯をすべてセラミックのものに変えました。自由診療なので高かったですが、健康を手に入れるためには仕方がないことです。金属アレルギーの場合は、セラミックでも保険適用にしてほしいものです。

 

もう一つ、菊池皮膚科に行ってよかったことは、漢方を処方してもらったことです。実は2013年ごろから、乾燥肌のかゆみに効くということで、市販に売っているロート当帰飲子錠を飲んでいました。これを飲んでいると症状が改善されることを実感しており飲んでいたわけですが、菊池皮膚科で漢方を処方してもらったことで、漢方も保険の範囲内で処方できるのだと知ることができました。菊池皮膚科で処方された漢方は、クラシエ補中益気湯です。調べてみると、補中益気湯を使用するとステロイドの使用が優位に下がったという報告があり、臨床的にも報告されているということがわかりました。

アトピーに詳しい皮膚科医なら漢方の併用も治療の選択肢の一つとして知っているかと思います。問診の際、漢方についても聞いてみると良いと思います。皮膚科医として漢方についてどのくらいの知識があるかを聞くことは良い皮膚科医かどうかを判断する指標の一つになります。

 

さて、話は少し戻りますが、今でも軟膏を薄場皮膚科からもらっているという旨は前述した通りです。ところが、今年の3月、薄場先生がお亡くなりになられました。私が最初に診断してもらったときもすでにかなりのご高齢でしたので、いつかはこの時が来るとは思っていました。今は、女性の先生が代わりに週3回ほど来ていますが、そうした背景もあってか、この前行った時に、東京に住んでいるのだから、ここ(八戸)まで来なくても近くの皮膚科にしたらどうかという旨を看護師さんから言われました。確かにそれもそうだなと思い、今は体にあった軟膏を処方してもらえる皮膚科を近場で探しているところです。

菊池皮膚科はなかなか忙しく、そういう相談もしにくいので、別のところを探しているのですが、会社の健康相談で勧められたのが渋谷駅前おおしま皮膚科です。紹介されたということもあり、おおしま皮膚科に行ってみたのですが、院長以外にも先生がおり、女性の先生に診てもらったのですが、態度が投げやりで「他のところからもらっている薬出すから言って下さい」といわれ、きちんと診察してくれませんでした。「菊池皮膚科で金属アレルーギーと言われたのですが」というと、喧嘩腰で「パッチテストはしたの?パッチテストしないとわからないから」と言われ、パッチテストの結果を出すと電子カルテに記入していましたが、もう少し紳士的な診察にはならないものかと思ったのでもう行かないと思います。

アトピーのように長年付き合っていると患者も病気に対して詳しくなります。生半可の勉強量では患者の知識にすら負けてしまうこともあるので、皮膚科医の先生は、常に情報を集めておくことをお勧めします。

最近行ったもう一つが三軒茶屋「なな彩クリニック」です。ここのクリニックには、たまたま内覧会があることを知って行ったのですが、先生が慶應義塾大学医学部漢方医学センターで教鞭をとっているということもあり、漢方には詳しい先生だということがわかりました。

私が今使っている軟膏として、「プラスチベースとイクタモール」を混ぜたものをもらっていますと言うときちんと理解してくれ、イクタモールはジクジクしたところに使われることを教えてくれ、最近はあまり用いられないとのこと。(おおしま皮膚科では何も教えてくれなかった)

菊池皮膚科では補中益気湯を処方してもらっていますが、三茶の方が近いので、しばらくは、なな彩クリニックで処方をしてもらおうと思います。相談して軟膏もいくつかもらいました。

開院して1週間経たないうちに行ったので、まだ空いており、ゆっくり話を聞いてもらえたのが良かったです。皮膚科はすぐ混むので長めの相談をしたい人は今のうちにいくと良いかもしれません。

 

なかなか自分にあった皮膚科医と出会うのは難しいもの。治療方法もアップデートされていくので、難治性の病気であるアトピーと向き合っていくためには、自分も勉強して行かないといけません。

 

簡単にまとめたいと思います。

・私は小学生の頃から薄場皮膚科で軟膏を内服薬を処方してもらっています。軟膏は比較的あっているものの、薄場先生が亡くなられたこともあり、東京で新たな皮膚科を探し中。

・皮膚科は血液検査とパッチテストを必要に応じて行ってくれるところが良いと思います。

・西洋医学だけでなく、漢方も合わせた治療に理解がある皮膚科医が良いと思います。

・自分で勉強していくことも必要。

・あくまで今回の記事は私の体験談ですので、全ての人に合う訳ではありませんのでお医者さんと相談して治療に当たってください。

大企業から転職してどうだったか。

このブログを始めて3年半ほど経って、始めてコメントをいただきました。

smartenergy.hateblo.jp

SIer業界に行ってしまいかけている学生」ということなので、おそらく、就職活動をしてSIerから内定をもらった方だと思われます。
SIerから転職して「よかったこと悪かったこと」を教えて欲しいということだそうで、冒頭の記事でも「新しい会社はどうか」のところで、よかったことや辛いことを書いてあるのですが、あれから2年以上経った今どうなっているのかということをおそらく聞きたいのだと思います。

その辺りも含め、新卒で入社した会社から転職してから今に至るまでを簡単に記述したいと思いますが、まずは、コメントいただいた点から、コメントさせていただきます。

自分は業界的な意味でなぜさんざん行きたくないと思っていたSierに行くことになってしまったというか行くことを決めたのかと後悔しているタイプです。

 まず、行きたくないと思っていながらなぜSIerを受けたのかなど、そういう根本的な疑問もあったりしますが、景気が上向いたとはいえ、就活生にとって内定がもらえればどこでも良いということはままあることだと思います。背に腹はかえられないこともあると思うので、そのあたりは突っ込みません。
行くということになってしまったのだから、後悔しても仕方がありません。まずは、その会社で学べることは高速で全て学ぶという姿勢でいれば良いと思います。それなりに歴史のある会社でしょうから、同期もいるでしょうし、きちんと教育もしてくれるでしょう。いきなり中小企業(ベンチャー、スタートアップ含む)に入って社会人経験を積むより、よっぽどしっかりとしたビジネスマナーを学べると思います。
新卒1年目に入る会社がその人の格を作るとよく言われます。SIerに入って、SIerのいいところも悪いところもわかった上で転職をするというストーリーは、社会から見て理解しやすいですので、決してマイナスにはなりません。

なお、私がSIerに入ったのは、ある意味でSIerの問題を肌で感じるためでした。SIerや大企業の課題を感じ、社会を変えていこうと思って、SIerに入社したわけです。お別れ会で部長にこんなに早く辞めてもったいなくないのかと言われ、私は「辞めるために入社したのです」と答えました。そういうと部長は、「会社がどれだけの採用コストや教育コストをお前にかけていると思っているんだ」と言いましたが、私は「Fという大企業なのだから、そうしたコストをかけて若手を教育して社会に解き放つというのも、大企業の社会的意義だと思います」と言ったら、腑に落ちないような表情をしたものの、少し納得してくれたようでした。

 そこで質問なのですが、実際に安定した大企業を退職してどうでしたか、というのをもしよければ教えていただけないでしょうか。

まず、大企業だからと言って安定しているということはありません。私が社会人になってからも東芝粉飾決算があり、SHARPが鴻海(ホンハイ)に買収されたりと大企業でも一寸先は闇となっているのが現代です。SHARPなんて、私が学生の頃は、私の学部の先輩が社長になっていて、優良企業の一つとして見られていたのですから、本当にわからないものです。
むしろ、SIerにいて、この先この会社は大丈夫なのかと思うようなことが多々あります。例えば、SIerの一角を担う富士通ですが、半導体事業を本体から切り離し、今はパソコンや携帯端末事業も売却の方向だというぐらいです。あと残ったのはSI事業だけですが、ここも地方公共団体や官公庁に支えられ、民だけでは成り立たないのが実情です。いずれ、SI事業も生き残れなくなる日が来ることは明々白々です。それがいつ来るのかはわかりませんが、40歳を超えてから訪れたとしたら恐怖です。長年一つの企業にいると社内でしか通用しないスキルが蓄積され、それだけで仕事をするということはよくあることです。そうなった時に、他に行く先が見つかるのか。不安で仕方がありません。
「安定」という意味では、転職した方が精神的な安定はむしろ高まっていると言って過言ではないでしょう。

転職しようと思うのですが、基本マイナス方向の転職というのはどんどん待遇が悪くなるだけじゃないのかな、と危惧してもいます。 

なにをもって「マイナスの方向の転職」とみなすのでしょうか?企業規模でしょうか?年収でしょうか?
企業規模で考えれば、私は、どの会社でも、最初は数人で始めたのだから、今その両者を比較しても意味がないと思っています。その小さな会社に自分が入って、大きくしていけばいいのです。ただし、事業内容によって適切な規模というのがあるのでしょうから、注意が必要です。
年収ですと、確かに年収が下がるのは嫌かもしれません。経験がある業界への転職であれば、過去の経験を生かして年収増を狙った転職も可能でしょう。私の場合は、コードを書かないSEからプログラマー、エンジニアへの転職でしたから、最初は年収も下がりました。同じ年齢の同期などと比較したら、かなり少なかったと思います。ただ、未経験だから仕方がない、むしろ、お金をもらって勉強させてもらっているというぐらいに思うのがいいでしょう。ただし、最初は少なかった年収も、成果を出していけば、それなりにはもらえるようになります。ちなみに、転職した当初は年収で300万円台前半。生活はできるけれども贅沢はできない程度の年収です。それが、入社4ヶ月後の査定で月額1万あがり、入社1年後の査定でさらに4万強あがったので、1年間で年収は60万円ほど上がりました。その時はようやく人並みの暮らしができると思ったものです。そして、実はさらにその後もう一度転職をし、給与も上がり、ようやく少しは贅沢してもいいかなと思えるようになりました。

もしよければ転職してよかったことと悪かったことを教えていただけないかな、と思いコメントを書かせていただきました。 

まず、悪かったことは基本的にはないと思います。転職した直後は仕事も全然できないし、大学の同期と比較しても給料はかなり安いし、それがかなりストレスでした。2社目は東洋経済の給与のワーストランキングにも載ってしまうぐらい給与が安い会社で、中には、それがきっかけで病む人もいたぐらいです。ただ、そこはもうキャリアチェンジで勉強をする場と思って割り切って、ある程度その会社で学べることは概ね学んだかなと思ったらキャリアアップを目指して次の会社に行くのがいいと思います。そういう意味でも、前の会社には感謝していますし、今も少しではありますが、お付き合いがあります。
良かったことは、視野が広くなったということです。ベンチャー企業で働くということは、プログラミングやシステム構築だけでなく、売上も含めてコミットするということです。売上が伸びない時にどうしたら良いのかというのを営業やディレクター、経営陣と議論するのはSIerではできなかったことです。経営者目線で物事を考える必要に迫られるのも、ベンチャー企業の良いところでしょう。
エンジニアの勉強会なども積極的に参加・開催しており、社内外の人たちと関われるのも役に立ちます。

少し長くなってしまったので、今回は質問に答えるところまでで筆を置きたいと思います。もう少し2回転職をして自分のキャリアについてどう考えているのか、と言ったあたりも書きたいと思いましたが、長くなるのでまた次回にしたいと思います。

普段ブログを書く時は、書きたいという思いが高まって、勢いで書くことが多いのですが、今回は質問に答えるという形で書くことになりました。5日ほど前にコメントをいただいて、通勤中とかにどう答えようかなといろいろと考えてみたもののまとまらず、とりあえず書き始めてみたのですが、やはり勢いで書く時よりは、なかなか筆が進みにくいです。(実際にはタイピングですが。)ライティングを本業にしている方々は、いろんな要望に応えてかけてしまうのですから、すごいですね。。

神奈川8区の動向

衆議院議員の福田元内閣府副大臣自民党を離党し、希望の党から出馬する意向が明らかになりました。

福田氏の地元は神奈川8区です。私はなぜ東京都が地盤でない福田氏がわざわざ離党してまで希望の党から出馬する必要があるのか、大変不思議に思っていました。

しかし、いろいろ調べて見ると自民党特有の理由が浮かび上がってきました。

 

これは昨年の記事です。

www.sankei.com

記事では、小選挙区で落選し、比例で復活した議員に対し、2回以上比例復活が続けば重複立候補が禁止される制度を検討しているとのこと。現在の自民党の制度はわかりませんが、もしこれが自民党内で制度化されたとすれば、福田氏はすでに3回比例復活で当選していることになるので、重複立候補ができないことになります。

神奈川8区といえば、ここ4回は江田憲司氏が当選している選挙区でなかなか江田氏の牙城を崩すのは厳しい選挙区であると言えます。重複立候補が禁止されれば、落選の確率が高くなるわけですから、それならば、離党して希望の党から立候補した方が先が見えるというものです。副大臣まで経験した方なら人手不足の希望の党としては喉から手が出るほど欲しい人材でしょう。

こうした自民党特有の背景が福田氏という多くの人にとっては「誰?」というような議員が希望の党に参画した大きな理由だと思います。

 

さて、話はここで終わりません。福田氏がいなくなった自民党は神奈川8区に誰を擁立させるのかというのが次の話題になります。今日のニュースではなんと、三谷英弘氏が神奈川8区に内定したという報道がありました。

知っている人は知っていると思いますが、三谷氏は元みんなの党衆議院議員。つまり、江田氏とは同じ釜の飯を食べた仲間であるというわけです。その三谷氏ですが、当選した時の選挙区は東京5区。目黒区と世田谷区の南東部を含む都市部の選挙区です。前回の選挙に落選しても政治活動はやめておらず、地元にはポスターがたくさん貼ってあります。

そうした地元を捨てて自民党という大政党に秋風を送られてひょいひょいと乗っかるのはあまりにも節操がないと言えますが、元みんなの党の浅尾氏も自民党の会派に所属しているわけですから、元みんなの党で渡辺派の人たちはそういう人たちなのでしょう。(中西健治氏なども自民党入りしている)

 

かくして、神奈川8区は江田憲司氏に対して元同僚の三谷氏が挑む形になってしまいました。

正直、江田氏は民主党政権時代、あれだけ民主党を批判していたのにも関わらず民主党と合流した民進党にいるのは不思議ですし、その江田氏と共に選挙を戦ってきた三谷氏と江田氏が相まみえるのはもっと不思議です。

政治家にとって政策なんてのは二の次で、自身がいかに良い立場にいるかというのを身にしみた神奈川8区の動向でした。