とある元SEの思考を探る

ひょんなことからとあるICT企業ではたらくことになったなんちゃって元SEがしたためるブログ。主に、政治・経済・社会問題・日常の出来事について発信していきます。お読みいただけたら、感動にむせび泣くほど嬉しいです。よろしくお願いします。


昨今の一部の日本人に見る傲慢さ

熊本地震後のSNS上での著名人への非難、格差拡大を警鐘するピケティの21世紀の資本論の隆盛、昨今の日本の執拗なまでの成功者僻み妬み。

今日本はどうなってしまったのでしょうか。

 

そんな中、CNNがこのような記事を出しました。

www.cnn.co.jp

この記事には、「人は貧しさや不平等を感じると行動に出る傾向が強まる」とあります。昔はみんな貧しかったし、比較的裕福な人でも、妬みの対象となることは今よりも少なかったと思います。なぜこのようになってしまったのでしょうか。 

 

今の日本(この記事を見てると日本だけじゃなく世界)では、資本主義の進展により、お金を稼いだ人が偉いという間違った見解を持った人がお金持ちになってきました。

自分は他人よりお金を稼いでいるから偉い。ファーストクラスに乗っていると、「下々の者が私を待たせるなんてけしからん!」といった思いも出てくるのかもしれません。

また、どこかの都知事のように、「都知事はトップリーダー」となんのためらいもなく言ってのける人たち。

なぜ人々はこのように謙虚さをなくしてしまうのでしょうか。

私は、職業の貴賎はないと思っています。どんな職業の人たちも同じ。

例えば、私がいるIT業界では、お客さんから要件を聞いてシステムを設計する人たち(いわゆるSE)がいて、その設計をもとにプログラミングする人たちがいます。ピラミット的な構造になっていますが、なぜか、SEの方が給料が良かったり、大企業だったりと世間的には上の方に見られることが多いです。一方、こうした大手SIerシステム開発を請け負うプログラマーたちはIT土方とも言われ、SEからこき使われるイメージが強いです。

しかし、私はSEとプログラマーはどちらも対等であるべきだし、どちらが偉いとか偉くないとかはないと思っています。SEとプログラマー、どちらもいなければシステムは完成しませんし、そこにあるのは、役割の違いだと思います。要件を聞いてまとめる人、その要件から設計する人、設計をさらに詳細に設計する人、コーディングする人、テストする人などなど、それぞれ役割があります。それは、個々人がそれぞれの役割に特化することで高い生産性で価値を生み出す"分業"と言われるもので、近代の大きな発明の一つと言っていいと思います。

したがってそこに貴賎はない。

 

経営者や政治家とその他一般労働者の間もそうだと思っています。経営者がそのアイデアで富を生み出しても、一人だけでそれが可能になるわけではありません。そのアイデアを実現してくれる人たちが必要です。もちろん、そのアイデアというのは、多くの人が思いつくものであればすぐに陳腐化して使い物にならなくなってしまうので、富を生み続けることができるアイデアを考案した経営者には他の労働者よりも多くの富を持つことになるのはやむを得ないことでしょう。

しかし、問題なのは、すべて自分一人の力で成し遂げたと思ってしまうこと。成功の陰には多くの人の協力があるでしょう。

例えば都知事であれば、当選するために応援してくれた国会議員都議会議員をはじめとした政治家やその支援者たちがいます。

会社の社長であれば社員など多くの人の助けがあったからこそその成功を手に入れることができたわけです。

それを忘れてしまってファーストクラスに乗って怒鳴り散らす。都知事だから毎週末公用車で別荘に行っても良いと思ってしまう。お金は得られてもその人の他者への感謝の気持ちは得ることができなかったのでしょう。

 

ノブレス・オブリージュという言葉を聞いたことがある人もいるでしょう。wikipediaによるとノブレス・オブリージュとは、

直訳すると「高貴さは(義務を)強制する」を意味し、一般的に財産、権力、社会的地位の保持には責任が伴う

ことを指すそうです。つまり、社会的地位のある人(資産家、企業経営者、政治家など)は、なんらかの責任や義務を伴うということ。

都知事の発言や社会的地位のある人の奔放な発言や行動を見るたびに、この言葉を思い出します。

社会的地位のある人の責任や義務とは何なのか、今一度立ち止まって考えて欲しいです。

私は、特に政治家は大多数の人々の感覚を失ってはいけないと思います。大多数の人は、毎週末別荘に行ったりしません。ファーストクラスで海外に行くこともありません。

成功した起業家もそうです。あなたが成功したのは何も自分の力だけではありません。少なくとも、今の日本社会の礎を築いた人たちがいたからこそ、あなたは経済活動をすることができるわけです。そして、あなたにかわって作業をしてくれる社員がいるからあなたは経営者で居られるわけです。そうした方々にきちんと感謝をし、還元していく。それが、成功し、社会的地位のある人の責任・義務だと思います。

マイクロソフトの創業者、ビルゲイツは、全財産の95%を寄付すると言っており、慈善団体「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」をつくって途上国への支援をしています。日本でも、高須クリニックの高須医院長は熊本地震の後すぐさま自家用ヘリで佐賀まで物資を輸送、被災地への支援をしたそうです。

 

ここで私は、政治家や起業家だけでなく、芸能人にも同じことが当てはまるということを強く言いたいです。芸能人は、普通の人が誰でもなれるものではありません。そして、売れてない人から売れている人まで様々います。売れている人は、売れていない時期も経験したことから、自分の力でここまで来たと思うかもしれません。

それは違います。

まず前提として、彼、彼女には、持って生まれた才能があります。容姿という才能があります。容姿は100%遺伝です。芸能界では容姿という土台は大前提としてあって、その上での努力で成功が決まると思うので、努力していないとは言いません。しかし、容姿がなければ努力してもどうしようもありません。あなたは幸運なことに見目麗しいで生まれてきた。そのことに感謝しなければいけないと思います。

そうしたことを鑑みずにSNSで発信するからひがまれるのだと思います。一般の人から見れば、私だって可愛く生まれたかった。だけどそうじゃない。親を恨むこともできない。そのやり場のない思いがSNSでの著名人への攻撃につながるわけです。

だから、常に謙虚な姿勢を持つべきだと思います。1億円の豪邸に住む必要なんかはない。収入も生活できるのに十分な分以外は寄付に回すといったことをすれば良いと思います。持病などの何か特別な理由がない限りファーストクラスなんて使わなくたって良い。私はボストンやロンドンに行ったことがありますが、エコノミークラスでも十分快適でした。仕事だったとしてもビジネスクラスでも十分です(ビジネスクラスは乗ったことないですが)。

 

謙虚こそ一番。いくら収入があっても、派手な生活はせず、常に感謝の気持ちを忘れずにシンプルに生きること。それがとても大事だと思います。