とある元SEの思考を探る

ひょんなことからとあるICT企業ではたらくことになったなんちゃって元SEがしたためるブログ。主に、政治・経済・社会問題・日常の出来事について発信していきます。お読みいただけたら、感動にむせび泣くほど嬉しいです。よろしくお願いします。


私大を除籍された女性は政治が救うべきなのか

母子家庭の娘が私立大学を除籍されたとして毎日新聞が取り上げたこの記事。

http://mainichi.jp/articles/20160429/ddm/013/040/005000c

これを読んで他の人はどう思うのだろうか。これを読んだ人の中には「政治が救わなければいけない!」という人もいたそうだが、私は素直に「政治が救わなければならない」とは思うことができない。

私立中高一貫への進学は避けるべき

一つは、この記事に出ている子は私立の中高一貫に通ったということ。

記事には、入学した当時、貯金が500万あり、将来への不安はなかったと記されている。だとしたら、私は、この記事に書かれている母親の見通しが甘かったと言わざるをえないとおもう。子供の方も、小学校高学年にもなればある程度世間の事が分かっているはず。私立に通うという事が経済的にどういうことなのか理解しなければいけない。私立の学費は公立よりも高い。公立に行くこと以上の結果・成果が求められる。それを認識して子供は私立中高一貫校に通う決断をしたのか。

まずこの段階での問題点。この母子家庭は公立中学・高校に行くという選択肢があったはずだ。そうすれば、通信制の高校に通う必要はなかったと思う。公立高校であれば、経済的な事情があれば、授業料の減額や免除といった支援が受けられる。中には親と子の関係が悪くそうした支援を受けにくい子どももいるだろうが、この記事の場合、親と子の関係は悪くはないように思える。公立の中高に通い、経済的事情があれば行政の支援が受けられたと思う。

私はよっぽどの自信がない限り私立の学校へ子供を入学させる事はやめたほうが良いと思う。ここで言う自信とは、(子供を大学を卒業させたいと思うなら)大学卒業まで払い続ける事の学費を捻出できる事、子供が公立高校を卒業する事以上の成果や結果を出すことができる事、である。

そしてさらなる問題は、そのような経済的事情があると分かっているなかで私立大学を選んでしまったという事だ。せめて国公立大学であれば、奨学金だけで通う事ができたであろう。(現に私の知人には日本学生支援機構から借りた奨学金+無理ない程度のバイトで大学を卒業した人が何人かいる。)

通信制の高校に通ってバイトをしながらだと勉強をする時間もとれなかった可能性が高い。結果、国公立に入るための学力もつけれなかったのだろう。だからこそやはり私立の中高一貫校に通うという選択がそもそもの間違いだったということになる。

姉の介護という不測の事態があったということもあるだろうが、今の日本では、記事に書かれたぐらいの状況では、大学を卒業できる仕組みにはなっていると思う。私立に通わせる事ができるという過信がなければ、である。

最悪の事態を想定する事の重要性

私は常に最悪を想定しておくことが大事だと思う。仕事はいつでもすぐになくなり得る。例えば会社の急激な業績悪化でリストラもありえるし、もしかしたら自分が事故にあって仕事ができる状況じゃなくなるかもしれない。そういう状態でも子供にはきちんと教育を受けさせる義務がある。法律上はその義務は中学までかもしれないが、現在では高校もほぼ義務といって良いだろう。仕事ができなくなった時にでも子供を高校に通わせる事ができるか。それを想定しなければいけない。

サッカー日本代表の長谷部選手は、常に最悪を想定していたという。いつチームをクビになるかわからないからいつもクビになる事を考えていたという。そういう選手が日本代表のキャプテンにまでなった。海外チームでも活躍している。いたずらに不安に感じる必要はないが、最悪を想定する事は生きていく上で必要な事だと思う。

以上が、この記事に関して私が思った事だが、こうした親子関係が良好な場合は私は現状でもある程度今の仕組みで支援する事ができていると思う。

親子の縁が切れた場合の方が問題

問題なのが親子の縁が切れてしまった時。例えば、親が子に虐待して、子が家出してしまうなどである。

今の日本の行政では、未成年の場合、親の同意を求められる事が多々ある。そうした場合に親子の縁が切れているとその子供を支援する事ができない場合がある。これは、鈴木大介氏の「最貧困女子」で紹介されているが、女性の場合だけでなく男性の場合もあてはまる。

私は、こちらの方がより深刻な問題だと思う。

 

また冒頭の記事に話を戻す。

公立の小・中・高と卒業し、国公立の大学ですら卒業ができないというのであれば大問題だが、本人たちの意思で私立を選んでしまった場合、私立学校というのは贅沢なのだから、その贅沢をした結果(つまり、金遣いが荒いという事を意味する)であれば、致し方ないと思う。

例えば、白金に住んでいるマダムが見栄のために高級なジュエリーや高級車を乗り回した結果自己破産しても誰も支援しようとは思わないだろう。それに近い。
もし記事のケースが私立小学校からというのであれば、さすがに5歳や6歳の子に「私立」にいく事がどいう事を意味するのかを考えさせるのは少し酷だが、小学校高学年ともなれば、十分に理解出来る年齢だろう。

私は小学校の頃から、「大学は私立はだめ。国公立にしなさい。ただし、早稲田か慶應なら私たちも死に物狂いで頑張るから早慶なら良い」と言われて育った。(なぜ早慶なら許されるのかは良く分からないが)

また、私の小学6年生の時、友達が私立の中高一貫校に通うことを知った。そこの家庭はそういう家庭だったので、「さすがお金持ちだな。自分だったら私立なんて恐れ多くて行けないわ」と思ったのを記憶している。私は公立中学でも十分に国立大学に行けると思ったし、日本社会はそうであらなければいけないと思ったので、自分で実践したかったのだ。結果、公立に行った事で多少の余裕ができ、中学時代は塾に通ったり、1年浪人させてもらえて東京の大学に入学できたが、高校時代は予備校に通わなくても十分に地元の国立大に入学できる程度の学力はあった。

現実的な選択肢としては、最悪の事態を考慮して、経済的事情があったときに支援の受けられる公立の中高に通わせて、その時々の経済状況を鑑みて塾や予備校に通わせるというのが良いのではないだろうか。

公立の学校で十分な教育が受けれない

本来ならば、塾や予備校に通うというのも意味不明なのだが、現状、教員の能力が低いのである程度は学外でカバーしなければいけない所が日本の良くないところだと思う。私の経験上、予備校の先生の方がよっぽどその学問に対する理解が深いし、教え方もうまい。日本の公立学校の先生は、教える事以外にも労力を割かないといけないからか、あまり教えることがうまくない人もそれなりにいる。私は高校時代、教えるのうまいなと思った先生に質問に行ったりしたが、3年に上がる時他の学校に移られたのがつらかった。その先生に3年の時も教えてもらえたら浪人しなくても良かったのではと思う。良い師との出会いは本当に大切だ。

また、国立大に行ってからも貸与の奨学金の場合、卒業しても何十年にわたって返さなければいけない。

 

まとめ

ちょっと長くなってしまったのでまとめを書こうと思う。

  1. 私立学校は贅沢。基本的に公立学校を選ぶべき。
  2. 常に最悪を選択して行動をとったほうが良い。
  3. 親子関係が悪くない家庭は支援は受けれる環境にある。虐待などで親子の縁が切れた場合の方が問題。

 

by カエレバ