今週は、熊本地震関連で、システムの改修を行っていた。サービスの概要は省くが、これまで東日本大震災にしか寄付できなかったのを熊本地震にも寄付できるようにするシステム改修だ。東京にいて、持病もあって災害ボランティアのスキルがない私はこのくらいしかできないのがもどかしい。
しかし、この1週間のネットはすさまじかった。
芸能人が数百万規模で寄付すると売名行為だの叩かれ、
芸能人が震災の情報をSNSでシェアすれば叩かれ、
メディアが被災地の空をヘリを飛ばせば救助の妨げになると叩かれ、
記者が現地で食料を調達すると叩かれ、
中継車が給油の列に割り込んで叩かれ・・・。
メディアや芸能人に対するバッシングが激しかった。
今回は、下3つについて私が思う事を述べようと思う。
・メディアが被災地の空をヘリを飛ばせば救助の妨げになると叩かれ、
これは東日本大震災のときにも問題になった話だ。ヘリの音がうるさいと、倒壊した建物の下敷きになった人が必死の思いで叫んでも救助隊に届かない。報道する事は大切だか、被災者が犠牲になるような報道の仕方は厳に慎まなければならない。
・中継車が給油の列に割り込んで叩かれ
ボランティアの基本は自給自足だ。すべて自己完結。寝床の確保、食糧の確保、電源などのエネルギーの確保。すべて自分でまかなわなければいけないがボランティアだ。
これは報道にも言える事だと思う。前にも述べたが、被災者に迷惑のかかる報道は決してあってはならない。
話は逸れるが、土砂崩れで生き埋めになった人を救助するとき、救助隊がシートに包んで救助された人がカメラに写らないようにしている。何人もの人がシートを持って見えないようにする。もし、カメラがなければそのような事はする必要はないはずだ。その分だけ、別のところの救助に人員をさける。カメラがなければ助かった命があるかもしれない。カメラは回さずに言葉だけで伝える事はできないのだろうかと思う。
・記者が現地で食料を調達すると叩かれ、
これもボランティアと同様報道も自己完結であるべきという前提のもと考えると、現地調達するのではなく、持って行くべきた。そしてこの発言。
「やっと今日の1食目。食料なかなか手に入りにくいです」
これに何の意味があるのだろうか。地震で多くの被害があったのだから、食料が手に入りにくいのは当たり前の事。そんなことはわざわざ「自分が被災地のお店で買った弁当を食べた」事実のもと伝える必要はない。単に「食料が不足しています」。それだけで良い。
思うに、メディアの人々は一般的な感覚と乖離してしまっているのではないかということだ。日本のメディアは正義は我にありとばかりに我が物顔で報道する。被災した人に何の躊躇もなくインタビューをする。本来ならばプライバシーが守られるべきだが、避難所はそれどころではない。そこまで考慮して報道ができているだろうか。
そして、報道は最小限にとどめられるべきで、NHK、民法各局はそれぞれ協力して報道をすべきだと思う。つまり、例えば避難所に複数の曲のカメラや記者が押し寄せるのではなく、各局分担する。報道による迷惑を最小限に抑える。それぞれが我こそはとばかりに現地の状況を伝えようとするのではなく、協力して報道する。そうすれば同じ箇所に複数の中継車や記者が居るなどといった無駄なエネルギーの消費もなくなる。
※ここで私が思った事は、あくまで最近の報道を見て私が感じた事です。実際には今の報道が被災された方々にとってとてもありがたく迷惑なんてないかもしれません。私の想像で書いているだけなので、実態と違う場合もあると思います。その際は申し訳ございません。
今後、同様な大震災が起きたときに同じ過ちを繰り返される事がないよう、書かせていただきました。
今もなお、避難所や車の中で寝泊りをしている方々も多くいらっしゃると思います。一刻も早く復興ができることを願っています。