新年1発目のブログですが、ちょっと思っていることをつらつらと書きたいと思います。
うまくまとまっていないと思うので、読みにくいと思います。すいません。
軽井沢町でおきたバス事故は、知らない人はいないでしょう。連日のように報道されています。
私もスキーのバスツアーは2年前、大学院を卒業する前に研究室の同期と4人で行きました。今回の被害に遭われた方にもこの春大学を卒業する人もいたそうなので、私と同じような理由でスキーのバスツアーを利用していた人も多いとおもいます。
決して他人事ではない事件でした。
まず、利用者の観点から思ったことです。
報道で流れている限り、大学生がほとんどで、中でも法政大学や早稲田大学といった有名私学に通っている人も多かったと思います。私のように私大に通えなかった貧乏学生ならともかく、法政、早稲田といった私大に通えるほどの余裕がご実家にあるのでしたら、もう少し高価格帯のツアーで信頼性の高いツアーに参加すべきだったと思います。(親もその点をきちんと指摘すべきです。)
逆に、我々消費者が低価格のものを選り好みするからこそ、旅行会社は他社よりも安くプランを作成しなければいけなくなります。結果、法令の定める価格よりも安い価格でバス会社に発注しなければいけなくなる。そして、安全性がおろそかになる。
消費者は安い理由にはワケがあるということを正しく認識しなければなりません。
一方で、学生がこうした格安スキーバスツアーを利用しなければいけない現状にも問題があります。つまり、学生はとにかく安いものを選んで探さなければいけない状況に陥ってしまっているわけです。学生はお金に余裕がない!
高齢化社会で今は若者に全然お金が回ってこない時代です。就職できたと言っても、10年後には今の仕事の7割がなくなるだとか、そういう悲観的な情報が氾濫している世の中です。いつ仕事がなくなるかわからない。その恐怖と常に戦っているのが今の若者です。
一昔前なら、大企業に就職して、労働をしていれば一生安泰だった。工場の作業員も正社員で年次が上がれば給料も上がっていった。ただ今は違う。そうした現場の人間は派遣にとってかわり、いつでも替りのきく存在に。正社員として働けるように一生懸命勉強したとしても、いつそのスキルが役に立たなくなるものになるかわかりません。
もし学生が今お金がなかったとしても将来増えていくであろう明るい未来が描けるのであれば、お金を惜しみなく使えるかもしれません。しかし、現代はそうじゃない。常に仕事がなくなるリスク、生活できないリスクと戦っているのが今の若者なんです。今の若者には貧困層一歩手前という人がたくさんいます。私もギリギリのところで生活しています。高度経済成長とともに生きてきた年配の方にはきっと想像ができない世界でしょう。
次に、バスの運転手の観点から考えてみます。
今回のバスの運転手はもとはマイクロバスの運転手で大型観光バスは5回目の乗車だったそうです。不慣れな大型バス、しかも、一般道でカーブもきつい難所続きの道の運転は相当きびしいものがあると思います。なぜ高速ではなく一般道を通らざるをえなかったかというのは推測での報道はありますが、確たる理由はまだわかっていません。
ただ、高坂SAに入れず、予定にはない上里SAで休憩、上越道に入ってすぐに高速を降りて一般道へ行ったわけだけれども、予定外の出費となってしまったことを取り返すためなのか、現地到着時刻を調節するためかその理由はわかりませんが、予定と違う運行をせざるをえなくなった時に管理側に運行変更を申し出ることができなかった状況だったのではないかと推測されます。また管理側も時間とお金さえ守ってくれれば運行ルートなどはあまり重要視していなかったのかもしれません。
いずれにせよ、そうした基本的なことを運転手も管理側も意識できていなかった。そして、意識すべきは管理側にあるわけですから問題は、バスの運転手ではなく、バス会社にあるわけです。そして、そういうバス会社に発注した旅行会社にも、大切なお客さんを安心して運行を任せられるバス会社に頼もうという意識がない。ただ、お客さんのことを金づるだとしか見れていない。人間として見れていない。だからこそ、こういうことを平気でできる。
一方で旅行会社の人も生きていくために稼がないといけません。価格が高いと消費者から選択されない。生き残れない。
資本主義社会の歪みと言ってもいいでしょう。
世界の上位1%の層が、世界の富の半分を所有しているとも言われています。お金はあるところにはある。しかし、それは私たちには巡ってこない。
とりわけ日本の場合は、富裕層だけでお金が回ってしまっています。
本来なら税金という形で富裕層からそうでない層にお金が回るべきですが、それがうまく回っていない。
高所得者が所得税で半分近く取られた税金が、自民党に近い土建屋に公共事業という形でお金が落ちていく。あるいは、高級官僚の天下り先の独立行政法人などで何の仕事もしていない人が高級を貪る。あるいは、破産しそうな大企業を救うために使われる。あるいは、声のでかい大企業の優遇税制に使われ、大企業の一部の人が高所得を得て、税金で半分ぐらいとられても(以下略)
という循環。我々労働者はそのお金の循環には入ってきません。
本来、調整機能としての役割を担う税制が一部の特権階級だけで回ってしまっている。
学生も、奨学金という名の借金を背負って社会に出る。大学の学費は20年前の倍以上(http://www.garbagenews.net/archives/2202962.html)。これまた今政治を動かしている富裕層、お年寄りには想像のつかない世界。
では、どうすればいいのかということです。こんなことを書くと社会主義が良いのか!と思われるかもしれません。さすがにそうは思いません。
資本主義というのは富のあるところに富が集まる仕組みです。行き過ぎた資本主義を適切な税制度、所得の再配分機能でそれはもう少し緩和できるはずです。だけれども声の大きい一部の既得権益者が政治家を動かす。政治家も票とお金が欲しいから従ってしまう。
結局は政治家がその誘惑に負けなければ良いのですが、そういう政治家を選挙で選んでいるのも私たちなのであって、結局はブーメランのように跳ね返ってきてしまうわけです。
もう少しお互いがお互いのことを思いやれる社会になれば良いのですが・・・。