今日の話題はこれ。
「1人のモデルに対し、6人の写真家にまったく違う肩書きを伝えてポートレートを撮ってもらったら…驚異の結果に!」
与えられた被写体に関する情報次第で、こんなにも写真が違ってくるという・・・。
人は、人の何を見て判断しているのだろうか。
結局は、その人の肩書しか見てないのではないか。
先日、M-1グランプリが行われた。
私はお笑いが大好きで、昔は爆笑オンエアバトルを欠かさず見るほど。最近はネタ見せ番組が減って寂寥を感じる。
さて、M-1グランプリ2015の優勝は、トレンディエンジェル。お笑い好きなら知らない人はいないだろう。私も好きな芸人の一つだ。
さて、M-1グランプリ優勝から一夜明け、トレンディエンジェルには仕事が殺到しているという。
M-1王者というタイトルをとったのだから、当たり前かもしれないが、トレンディエンジェルの面白さはM-1の前後で変わったわけではない。もちろん、M-1優勝を目指して努力してきたことが面白さの向上に役立った点はあるだろうが、M-1王者というのは結果でしかない。トレンディエンジェルはM-1王者でなくてもおもしろいのだ。
はて。
なぜ、M-1王者になると急に仕事が殺到するのか。
私は、結局人は肩書でしか見てないのではないかということなんだと思う。その人の内面なんて実際見ていない。M-1王者という誰が見ても分かりやすいタイトルをとったからオファーを出す。これの意味するところは、オファーするのはおもしろいからではないということ。M-1王者という肩書でオファーを出すということ。トレンディエンジェルが面白いかどうか、つまり内面なんてどうでもいいということの表れではなかろうか。
冒頭の写真の記事でもわかるように、その人がどのような経歴で、どのようなことをしてきたか、というのを聞くだけで、実際に自分が調べたわけでも話したわけでもないのにもかかわらず、他人を色眼鏡で見る。
もっというと、他人なんていうのは少し話しただけでは理解なんてできない。ずーっと一緒にいる夫婦だって100%お互いを分かり合えない。
これは、昨今の恋愛でも言えるのではないだろうか。私は女性と1回だけあってそのあと連絡が途絶えたという経験が多々ある。1回だけ会って判断されたのだろう。だが、1回会うだけでその人の何が分かるというのか。私は好きという感情を抱かない相手でも、こちらから連絡をとらなくなるということはまずない。なぜなら、苦手を克服した先に見えるものが得意となることを知っているからである。私は勉強で苦手な分野でも勉強して得意分野に変えてきた過去がある。苦しんだ先に見える光を求めてあがく。
そしてもちろん今日も苦しい。こういう時こそ生きているという実感をする。
話を戻そう。人は想像以上に奥が深い。表面的な情報で相手を判断してはいけないということを肝に銘じて本日の記事とさせていただく。
本日も、ここまでお読みいただき、有難うございました。