とある元SEの思考を探る

ひょんなことからとあるICT企業ではたらくことになったなんちゃって元SEがしたためるブログ。主に、政治・経済・社会問題・日常の出来事について発信していきます。お読みいただけたら、感動にむせび泣くほど嬉しいです。よろしくお願いします。


あくびの認識を変えたい

人はなぜ良いことであってもマイナスなイメージをしてしまうのか。

 

たとえば貧乏ゆすり。

私は貧乏ゆすりすると、親から「貧乏ゆすりは止めなさい」とことごとく叱咤た。社会に出ても、会議中などに貧乏ゆすりをしている人がいるのを好ましく思わない人が多いと感じる。

しかし、よく考えてみてほしい。その人は貧乏ゆすりをしなければいけない状況に陥っているからこそ貧乏ゆすりをしているんのだ。貧乏ゆすりをしたいときに貧乏ゆすりを辞めてしまえば、どう考えてもプラスになるとは思えない。貧乏ゆすりがなぜ起こるかという知識が無くても、貧乏ゆすりをしている人は、貧乏ゆすりをしなければならない理由があるということは理解されるべきだ。

そもそも、貧乏ゆすりをするのは、その人が何らかのストレスを感じているからだ。ストレスを緩和するために貧乏ゆすりをする。社会に出てストレスを抱えていない人はいない。むしろストレスが無いという人に言いたい。なんらストレスのない状況下で人は成長しない。人はある程度のストレスがかかることで成長する。ストレスが無いという人は成長していないということを認めていることを意味する。

今、相変わらずランニングがブームだ。私の家の近くの緑道でもランニングをしている人をみる。私もする。運動をすることはストレスを解消するのに良い効果があるということは知られている事実だ。貧乏ゆすりも一種の運動である。ストレス解消にランニングを褒め称えて貧乏ゆすりを非難するの人は自己矛盾も甚だしい。

貧乏ゆすりは、ストレス解消に必要なことだ。貧乏ゆすりをしている人をみたら、その人は今成長しているのだなと思ってほしい。

 

たとえばため息。

ため息をすると幸せが逃げると言われる。しかし良く考えてほしい。ため息をしているのは、ため息をする必要があるからであって(以下、貧乏ゆすりとおなじ。

ため息は、医学的には自律神経を整えるなどの作用があるらしいが、ここでは難しく考えずに、ため息は不幸を追い出すと考えるのだ。想像してみてほしい。ため息をすると幸せが逃げると言うが、ため息をして出た息に幸せを感じるだろうか。むしろ、出した息に悪い気がまとわりついているイメージすらある。

ため息は、幸せが逃げるのではなく、不幸を吐き出しているのだ。

 

そしてあくび。

あくびをすると行儀が悪いと言われる。私が小学校に入ったばかりの頃だ。もともと持病の影響で夜熟睡できない人ではあったが、授業中、私はとにかくあくびがおおかった。小学校1年生の時の担任の河野先生にはあくびをするなら下を向いたり手で隠してしなさいと言われた。

社会人になっても研修でおおっぴらにあくびをするのはやはり心象が良くないだろう。

でも良く考えてほしい。あくびをするのは、あくびをする必要があるからであって(以下、ため息と同じ。

あくびをするということは、空気を体の中に入れることを意味する。空気と言っても人間にとって重要なのは酸素だ。あくびをすることで酸素を体内に入れ、脳を活性化させる。あくびをするのは、「これからがんばるぞ!」という思いの表れなのである。そんな人間の生活にとって必要なあくびをすることは、褒められこそすれ、非難されるいわれはないのだ。

 

私はあくびに対する世間のイメージを変えたい。貧乏ゆすりは正義だ。ため息も正義だ。そして、あくびも正義だ。

どんどんあくびをしていきたい。 

 

www.nikkei.com

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