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とある元SEの思考を探る

ひょんなことからとあるICT企業ではたらくことになったなんちゃって元SEがしたためるブログ。主に、政治・経済・社会問題・日常の出来事について発信していきます。お読みいただけたら、感動にむせび泣くほど嬉しいです。よろしくお願いします。

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日本の学校教育に圧倒的に欠けているもの~その1~

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大学院の研究室時代の同期と会話していて、日本の教育に圧倒的に欠けているものによって私たちは苦しめられているという話題になった。

 

日本の教育ってなんなのだろう。

 

 

ちなみに、

私→愛知県の某公立高校を卒業し、一浪の末、東大に入学。大学院まで6年間を過ごす。現在、IT企業(上場)に勤務。

研究室の同期→神奈川の私立進学校を卒業し、現役で東工大に入学。大学院から東大に移る。現在、大手材料系メーカー(上場)に勤務。

という二人だ。

どうなのだろう。はたから見れば、学歴的には申し分ないと思われるのかもしれない。勤務先もそれなりに名の知れた企業。

まじめに日本の教育を受けてきた二人なのだと思う。私は公立、彼は私立とはいえ、実情はそれほど変わらないのかもしれない。

 

日本の教育に圧倒的に欠けているものは、

 生きぬく力を与える

ということだと思う。

 

生きぬく力とは何か。それは二つしかない。

 お金を稼ぐことができる

 お金が無くても(少なくても)生きていくことができる

生きぬく力とは、この二つを教えるということだ。

 

これを日本の教育ではまったくもって教えない。小学校でも中学校でも高校でも、当然大学でもだ。

生きてく上でお金というのは極めて大事な要素だ。普通に考えれば、お金なしで生きていくことはできない。

世の中にはお金を使わずに生きている人もいるし、一部の人にとってはお金が無くても生きているのだろう。もしお金を稼ぐ方法を教えないとしたら、お金が無くても生きる方法を教えるべきだと思う。

ただ、お金無しで生きるためにはかなり特殊な技能がいるので、多くの人はお金を稼いで生きている。

本記事では、「稼ぐ」ということに重心を置いて書く。

 

まずは、まじめに学校教育を受け、しっかりと勉強した結果どう思うようになるかだ。

 

勉強をした結果、そこに何が残るか

私も研究室の同期の彼も、かなり勉強した方だと思う。そうしないと東大や東工大には受からないし、東大の大学院は内部、外部関係なく入試を行うので、内部生でも落ちる。勉強しないと大学院には行けない。

その結果が今の私達。

研究とは一切関係ない職に就き、会社に入ってから新たに勉強をする。私は、ICT関連の技術(Javaとかデータベースとか、最近はRuby on Rails)、彼は強電系の国家資格を取らなければいけないという。ちなみに研究室は半導体関連(弱電という)の研究をしていたのでITとも強電ともあまり関係が無い。

結局、理系である私たちは、常に学び続け、道具として使用され、社会の歯車となって死んでいく・・・。

はっきりいって、高校時代に習った、古文とか、漢文とか、全然使ってない。数学は・・・少しは使うことある。けど、大学1年の時に学んだε-δ論法とか全然使わない。研究で使った電気化学の知識(ネルンストの式はじめ、もろもろ)とかも今の仕事では全然使わない。

こうした知識は、今私が生きる上では必要のないものだと言える。今まで勉強してきたものっていったいなんだったのだろうか。学生の頃、特に、中学、高校の頃、大人からはとにかく役に立つから勉強しなさいと頭ごなしに言われた。私はただ漠然と大人が言うのだから必要なのだろう。大人の多くは、若いころもっと勉強しておけば良かったという。勉強はしておいた方が良いのだろう。そう思って勉強していた。

 

だけど、現実は違った。勉強なんかしても、生きやすさは変わらない。むしろ生きにくさが増えているのではないか。これまで一生懸命勉強しても、給料という形では現れないし、最低限生きることができる程度の給与がもらえる程度だ。

一方で、起業したり、自分でビジネスをしている人は、自分の力でお金を稼いでいく。フリーランスで活動している人や、プロブロガーとしてアフェリエイト等で稼いでいる人もいる。ベンチャー企業を立ち上げる人もいる。

もちろん、彼らも勉強してきたのであろう。ただ、一介の会社員と違うのは、彼らは稼ぐことができるということだ。会社員は会社の歯車となることで、他人の考えたビジネスの駒として生きることでお金をもらう。一方、彼らは自分が生み出したビジネスで稼ぐ。同じ稼ぐでも全く違う。

私の父は、高卒だ。大学には行っていない。高校も地元では下から数えて2番目ぐらいの底辺校だ。それでも最終的には社長になり、今は会社を売って売却益と会社の土地の地代でゴルフ三昧の生活を送っている。本当に尊敬する。

 

学校では、駒として働く術を習う。自分で価値を生み出してお金を稼ぐ方法は学ばない。だから平凡な給与しかもらえない。 

人一倍勉強をしてきた私でも、お給料は同期はみな同じ。大卒か院卒かの違いぐらいしかない。正直私は同期の誰よりも勉強してきた自負がある。

だけど私の勉強は給与には反映されない。

だったら勉強なんかしなければ良かったのではないかと思う。

勉強して、生きるのに不要な知識を頭に入れて、そして忘れていく。それに何の意味があるというのか。子どもに勉強という拷問にかける。

 

中学生や高校生に次ぐ。自分が苦痛に感じるほどの勉強はしてはいけない。最低限の基礎知識があれば十分だ。

仕事でお金を稼ぐなら、その仕事に必要な勉強をすればいい。それは学生の頃には分からない。だったら、学生時代は適当に勉強して、仕事のために勉強をすればいい。学生時代は、大人になってから勉強できるようにしっかりと力を蓄えておけばいい。仕事をしてからじゃないと見えない世界がある。学生には見えない世界がある。生きるということにおいて、大切なのは、社会人になってから見える世界だ。その世界で活躍するために、学生時代に全力でつっぱしってはいけない。せめて軽いジョギングぐらいでとどめておけ。

いつでもすぐに走れるように。

いつでも全力で走れるように。

体を温めておけ。

決して疲労はするな。学生は社会に出るためのウォームアップの期間に過ぎない。絶対に全力は出してはいけない。

 

勉強をした結果、そこに残るのは、勉強しても生きやすさは変わらないということ、勉強をあまり頑張らなかった人でも同じような給与であるという現実。むしろ勉強をあまりしてこなかったひとほど独創性をもってそれを糧にして稼いでいるということだ。

つまり、勉強は無力なのだ。

 

学校では何を教えればいいか

日本の教育の最大の罪は、勉強をしていれば誰も何も文句を言わないということだ。勉強をして、定期テストで良い順位をとって、偏差値の高い高校に入り、偏差値の高い大学に入れば大人は何も言わない。むしろほめる。

高校なんて、大学なんてどうだっていい。

そんなのはお飾りに過ぎない。本当に力のある人は学校の名前なんて関係ない。高卒でもあまり知られていない大学卒でも成功者はたくさんいる。

勉強ができることがなんなんだ。そんなのは何の価値もない。

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大事なのは、いかに稼ぐことができるか。

 

 

その為には、いかに人を喜ばせることができるかだ。

すべての価値は人を喜ばせるためにある。学校ではそのことをほとんど教えない。

常に他人が何を求めているかを考え、そして何をしたら喜ぶかを考える。

これこそが稼ぐということだ。

 

勉強ができるというのは、そうした人が喜ぶことを提供できる人(=起業家)の使用人にすぎない。本当に価値があるのは、勉強ができることではない。

本当の価値は人を喜ばせることができることだ。

それを学校ではもっともっと教えるべきだ。

 

もちろん、勉強ができて、事務仕事がはやかったり、プログラミングができるということは、起業家を喜ばせる。結果、起業家は人を喜ばせるためのサービスを提供できるようになる。

だけど、それを認識している人はどのくらいいるだろうか。

そう思うだけで、日々の仕事の見方が変わるのではないだろうか。

 

学校では、勉強なんかを教えるよりも、人を喜ばせることこそがこの世の何よりも大切なのだということを教えるべきだと思う。

もちろん親もだ。勉強なんて手段にすぎず、なんら価値もないのだと。そんなことをするぐらいなら、人が喜ぶことを考えろと。そう教育すべきだと思う。

 

次回は、お金を稼がなくても生きていくということについて考察する。

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