たまたま目に留まった上の記事。
こんなことで議論になるようでは世も末だなと思う。
賛否、というか、二つの視点があるんだと思う。
一つは、理科の理解度を測るという観点。
もう一つは、決まり事をきちんと守るという観点。
どちらも、教育には必要なことだと思う。
一つ目の理科の理解度を測るという観点からは、Aじゃなくて“まるA”でも良いじゃんということだ。確かにそうだ。たんに○をつけなくてAだけでも十分に採点者と回答者の間でコミュニケーションをとることができる。
きちんとコミュニケーションがとれているのだから、1点減点するなんて揚げ足取り以外の何物もないというのが、1点減点に対する否定派の意見だろう。
二つ目の決まり事をきちんと守るという観点からすれば、コミュニケーションがとれたからといって、それはあくまで採点者がそう解釈してくれているからとれるのであって、本来ならば、回答者はそれに従うべきというのもの。今回の場合、問題文にご丁寧に「まるA、まるB、まるCを書きなさい」と書いてある。
今回きちんと採点者が理解できるのは、採点者が人間だからだろう。これがコンピュータだったら、Aと“まるA”はまったくの別物だ。コンピュータなら理解はできない。
こういうのを「電文形式が異なる」とか言ったりする。採点者が人間であるから、多少形式が異なっていても理解できるのだ。
コンピュータが採点者ならば、0点にするところを1点減点で済まされているのだから、この1点減点は揚げ足取りというよりも、点数をくれてありがとうと採点者に感謝すべきなのかもしれない。
私の立場は1点減点は妥当な採点だということだ。
世の中は、規則に従わないといけないことがたくさんある。例えば、大学に入って研究して論文を書く。論文は、ジャーナルごとに異なる形式で提出しなければいけない。その形式が間違っていれば、どんなに良い論文でもレジェクトされる。少なくとも「ここを修正してください」ということは言われる。
形式が違うということは、多くの場合許されないであろう。論文以外でも書類を書いたり、申込用紙を書いたりするときも同じだ。形式に従って提出する。
これは当たり前のことだ。決まりを守るというのは、きちんと教育されてしかるべきだろう。
ただ、理科の理解度を測るという観点からは、形式が違うからと言って0点にするのはさすがに評価として正しくないであろう。だから1点減点する。
妥当ではないか。
議論の余地はない。
なぜネットでそんなに議論になるのか全く意味不明だ。