今日は、上記のニュースについて。
チリで、「嚢胞(のうほう)性線維症」という難病に苦しめられているマウレイラさんが、病気の合併症のため、逝去されたというニュースです。
彼女は、生前、動画共有サイト等を利用して、安楽死を認めてほしいということを訴えていました。しかし、カトリック教徒が多いチリ。安楽死は受け入れられにくい風土。
大統領と会う機会を得るも、安楽死は認められず、結果、合併症で亡くなりました。
私は、安楽死は認められるべきだと思っています。
マウレイラさんのように難病を患っている人は、日々苦しんでします。私も難病ではありませんが、アトピー性皮膚炎という慢性疾患を患っています。ひどい時には外に出たくない、誰にも会いたくないという思いが強くなります。体は常にどこかが不調な状態。体調が万全ということは26年生きてきた今の今まで体験したことがありません。
体のどこかが痒い。そのかゆみをだましながら生活しています。
私はまだ我慢ができる程度の苦しみですが、このかゆみや痛みがひどかったらと思うと、我慢ができないほど毎日、毎時間、毎分、毎秒苦しんでいる人の気持ちが少しわかります。
私は、慢性疾患を患っていることで、やりたいと思うことがやりにくかったり、仕事でもプライベートでも健常な方々が何の気なしにしていることができません。
病気の直接的な影響以外にも、そうした精神につらいということも考えなければなりません。
そして、難病指定されれば、何らかの社会福祉を受けることになる場合もあると思います。
そうした、社会にとって何ら貢献をしていないにも関わらず、生きている、いや、生かされていると思いながら生きなければいけないと思うと、すさまじい精神力だと思いませんでしょうか。
そうした苦しみから解放されたい、早く死にたいと思うのは当然なのではないでしょうか。
その為に安らかに死んでいくことを選ぶ。
私は、安楽死は望む人には可能にすべきだと思います。
(判断できる年齢になるまで待つなどの制限はすべきですが)
死ねば苦しみはそれで終わり。生きていればその苦しみは一生続きます。
安楽死を認めないということは、その人に対して、ずっと死ぬまで苦しみ続けなさいと言っていることと同じです。
いったい誰がそんなことを言えるのでしょうか?