とある元SEの思考を探る

ひょんなことからとあるICT企業ではたらくことになったなんちゃって元SEがしたためるブログ。主に、政治・経済・社会問題・日常の出来事について発信していきます。お読みいただけたら、感動にむせび泣くほど嬉しいです。よろしくお願いします。


努力しても幸せになれない(後編)

前回までの記事(前編中編)で、私が大学院を卒業するまでを述べました。要約すると、大学受験での努力、ソフトバレーでの努力、この二つが努力をしたことになります。大学受験では、無事に行きたい大学に行けました。ソフトバレーでも、いくつかの大会で優勝することができました。それなりの成果が得られたと言えるのだと思います。

しかし、その結果得られたのは、一瞬の喜びと当然という感情、そして満足しない感情です。もちろん、大学に合格すれば多少は嬉しい。大会で優勝すればうれしいです。だけれども、すぐに、努力したのだから大学に合格して当然、優勝して当然という感情です。努力をして結果が出る、そこには努力したのだから当然という感情が残ります。そして、例えば大学であれば毎年3000人もの人が私と同じ大学に合格しているのだから、在学生だけで1万2000人、非常に多い人数です。言い換えれば大学に合格することなんて“普通”なのです。ただ努力して“普通”になっただけにすぎないのです。それに気づいたとき、私は、「大事なのはこれから。まだ私は社会に対して何もできていなし、親の庇護の下生きている。もっともっと成長しなければいけない」という思いでした。(ソフトバレーであれば、これで生きていくことはないのですから、ある程度結果が出たことで、ソフトバレーはこのぐらいで良いかという思いになりました)

 

努力した結果得られたのは、幸福感なんかではなかったのです。自分はまだまだ未熟であるという劣等感でした。努力して得られたものは得られて当たり前と感じるものです。人はそれが当たり前になると、またもっと上を目指そうと思います。そしてまた努力が始まるのです。

 

私は、これまで、努力をしたことで、サラリーマンとして給与を稼ぎ、アトピーも気を付けていれば日中は掻いたりなどしない、“人並みの生活”が送れるようになりました。それでも、私がやりたいことはできていません。将来的には、国会議員秘書、高校教員、会社経営など、やりたいことはたくさんあります。国会議員秘書はなれそうですが、あとの二つは厳しいです。高校教員になるためには、大学に入りなおさないといけません。会社を経営したいと思ってもアイデアもありません。多くの企業家のように昼夜問わず働くような体力も精神力もありません。

そうした言わば“気力”がなくなってしまうのには理由があると思言っています。若いうちの苦労は買ってでもしろと言いますが、あまり買いすぎると、若いうちに精神が疲弊しています。特に私は、出発点が低いので、他の人よりも努力しなければいけなかったと思います。世の中には、大して努力しなくても行きたい大学に入れる人がいます。やりたいことがやれる人もいます。私の知人もそんなに勉強していませんでしたが、現役で東大に入っていました。模試ではまだ習っていない分野でも8割ぐらいの得点していましたから、そこは才能なのではないかと思います。私にそのような才能はありません。

 

だからこそ努力のし過ぎはよくないのです。将来必ずやってくるであろう修羅場に備えるために気力は使い切ってはいけないのです。

 

身の丈に合った努力までで良いのだと思います。私ががんばってしまった受験であれば、現役で合格できそうだった地元の大学で十分だったと思います。地元の大学であれば、地元の企業には根強い人気があるので就職でも不利になりません。別の記事で詳しく述べたいと思いますが、東大というブランドは、社会では時に足かせになります。

 

私は、小学校の頃野球をしていて、毎日のように練習していましたが、中学、高校に行き、全く歯が立たないことに気づいて高1で辞めてしまいました。この経験は努力しても報われなかった経験の一つです。

人が努力するのは、努力したら報われると思っているからです。しかし、努力したからと言って、必ずしも報われるとは限りません。

むしろ、報われない方が多いのではないでしょうか。大人になればなるほどそれは顕著になります。努力しても報われなかった時、その時、人はどう思うのでしょうか。

そこに残るのは、悲しみ、絶望、怒り、憤り、不甲斐なさ、自己評価の低下などだと思います。

 

これまでも何度か述べましたが、私は物心ついたころからすでにアトピーで全身皮膚炎が発症していました。小さいころの写真を見ると本当にひどい容姿です。正直見たくありません。アトピーを治すために、これまでいろいろなこと試しました。東京に出てきたとき、初めての一人暮らしということもあり、かなり悪くなった時期があります。アトピーの悪化で夜眠れないときも多々あります。アトピーを改善するために自分でも色々と調べ、対処してきました。

アトピーというものは完治する方法が分かっていません。皮膚科医に行っても対処療法をとることしかできません(完治するための治療法はなく、症状を軽減する治療しかできない)。基本的には外用薬と内服薬で症状を抑えます。私の場合、アイピーディーと漢方を飲み薬として飲んでいます。外用薬としては八戸の皮膚科で独自に調合された薬を使用しています。

街を歩けば、皮膚科医はたくさんみかけますが、本当の意味で皮膚科に詳しいはごく少数です。ちょっと悪かったらステロイドだしとけみたいな皮膚科医も多いです。そもそも今の制度では、医師免許をもっていれば、どの科を掲げて開業しても良いので、自分の専門じゃなくてもこの科は楽だからという理由で看板を出せます。

今でこそ、ある程度体調をコントロールできるようになりました。最近になってようやく、なんとか“人並みの生活”ができるようになってきたと思っています。それでも、ここまでくるには大変な苦労がありました。例えば、洗濯洗剤をとってみても、一般に売られているようなアリエールやアタックなどの洗剤はアレルギー反応を示し、使うことはできません。夜寝るときは手の疾患が悪化する可能性があるので毎晩綿手袋をつけて寝ています。虫歯治療で入れた金属も、金属アレルギーもあるとわかり、すべてセラミックに替える予定です(自由診療なので数十万円かかる)。これらは、文字で書けば簡単ですが、自分の体であれこれと実験をして、どうすると悪化するか、良くなるかを知ってできるようになったことです。洗剤や金属がアレルギー反応をおこしうるということは、皮膚科医によっては分かるのですが、これまではそのような診断はされてきませんでした。私がある皮膚科医の本を読んで、もしかしたら金属アレルギーじゃないかと思い、その皮膚科医にかかって、パッチテストをしてようやく分かったものです。

こうした努力をしてようやく手に入れた“人並みの生活”。

普通に寝て、朝起きて、ご飯を食べて、仕事して、帰ってまた寝るという多くの人が普通にできていることを、なぜ私は、努力をしないとできないのか、そしてその治療のために医療費がかかってしまうのか、時間がとられてしまうのか、悲しくなる時がときどきあります。やっぱり努力しても幸福感は得られません。

 

ある程度持病がコントロールできるようになったからといって、まだまだその先は長いです。将来的には結婚もしたいと思っていますが、いかんせん、慢性疾患を持つ男性は敬遠される傾向があります。私も今まで何人かの方と関わってきましたが、やはりアトピーであることを告げると、露骨ではないものの、そっと離れていきます。それはそうですよね。女性が男性に求めるものの一つに、清潔感が挙げられますが、アトピーの人にとっては清潔感も難しい。そもそも肌が汚いうえ、ちょっと掻けば皮脂が取れますので、スーツなどを着てると、知らず知らずにふけのようなものがついてしまったりします。

そして、朝起きるとシーツが血まみれになっていることを想像できますでしょうか?朝起きると、皮脂がベッドのまわりにちらばっていることが想像できますでしょうか?もちろん、毎日掃除はしますが、限界はあります。血の跡は洗ってもとれません。こんな人と生活を共にしたいと思いますか?

私が気胸で入院していた時、週に2回、シーツを変えてくれる方がいて、その方々(二人組のおばちゃん)が「なに?ここの人。血がついてるし、なんか汚いわよ」といいながら取り替えていたのを私は病室の入り口付近で聞いていました。様々な病気のいる人がいる病院ですら、こういう反応なのです。

そもそも、仮に結婚できたとしても、子どもを作るのには抵抗があります。アレルギーは遺伝性のある疾患です。子どもが同様の疾患を持つ可能性は高くなります。子どもに自分の様な苦労はさせたくないと思うのは通常の感情でしょう。また、奥さんになってくれた人に対しても、子どもがアトピーだと苦労をかけてしまうことになります。それを乗り越えれるほどの人はなかなかいないと思います。

いくら、努力をして症状をコントロールできるようになってもやはりまだ普通の人のように恋愛をし、結婚をし、子どもを作るというのは私にはできないのです。いつこの狭い暗いトンネルから抜けられるのか、その目途はたっていません。抜け出せないまま一生を終える可能性も当然あります。

 

人は生まれつき、持って生まれたものでおおよその人生が決まってしまうのではないでしょうか。私はかろうじて、勉強することが嫌いでない性格に生まれてきたので、今、こうして、会社員として生活ができています。両親に感謝しなければいけません。アトピーが原因で精神的にもつらくなって、社会に出れない人も多くいると聞きます。それが原因で仕事を辞めざるを得なくなった人もいると思います。

(参考)アトピーにあった職業はあるか 

 

結局人生は、自分の理想に対し、現実とどのように折り合いをつけていくかにつきるのではないでしょうか。

努力をしても幸福感は得られないかもしれません。得られても一時の感情で終わります。だけれども、少しは生きやすくなるかもしれません。だから今後も私はところどころで努力を続けるのかな。。

 

以上、前篇中編、後篇にわたる「努力しても幸せになれない」でした。ここまでお読みいただき、ありがとうございました。皆様にご多幸がありますことを願いながら、この記事を終わらせていただきます。

 

(捕捉)

しかし、これまでに述べた努力ですが、努力をせずにできる人がいます。いや、はたから見れば努力なのですが、本人が努力と思ってないということです。そういう人が天才と言われます。「努力できるのが秀才、努力を努力と思わないのが天才」(茂木健一郎)なのです。