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とある元SEの思考を探る

ひょんなことからとあるICT企業ではたらくことになったなんちゃって元SEがしたためるブログ。主に、政治・経済・社会問題・日常の出来事について発信していきます。お読みいただけたら、感動にむせび泣くほど嬉しいです。よろしくお願いします。

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努力しても幸せになれない(前編)

今回は、私が今まで経験したことを元に努力なんてしたって幸せになんかなれないということをお伝えしたいと思います。

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私は現在26歳、公立の中高を卒業し、一浪の末、東京大学に入学、そのまま東大大学院修士課程に進み、修了した、工学修士です。

良く、東大に入れたんだから中学校ではずっと一番をとってたんでしょう?と聞かれます。

しかし、私は中学校で1位になったことはありません。公立中学でしたが、なぜか私の代は優秀な人が多く、現役で京大医学部に入った人や、現役で東大理一に入学した人がいましたので、全然歯が立たなかったのです。彼らの優秀さと比較したら、私はありんこのような成績でした。

おそらく、そのあたりから私のコンプレックスがあります。現役で東大理一に入学した人は小学校も同じだったので、彼から「永遠のライバル!!」と書かれた年賀状が送られてきたこともありました。私は必至でくらいついていましたが、自頭の良さは圧倒的に彼の方が上。どんだけ努力しても上には上がいるなとすでに小学生のころから限界を感じていたのです。

やはり、頭の良さはある程度遺伝すると思います。私の父は愛知の祖父江高校(今は平和高校と合併し、杏和高校に。)というところを卒業している高卒です。祖父江高校は愛知の尾張地区の方ならご存知かもしれませんが、決して進学校ではありません。母は日本福祉大学というところを卒業しています。東大生の親と言えば、親も東大卒だったり、医者だったり、官僚だったり、弁護士だったり、研究者だったりが多いですが、私の親は本当に普通の親です。家庭は裕福ということもなく、小学校の頃、私は食卓に久しく肉が出ないことに対していきなり癇癪をおこした経験もあります。病院の待合室で喉が渇いたからと言っても、決してジュースは買ってくれず、トイレの水を飲んできなさいと言われたこともあります。たまに買ってくれたときも、姉と二人で350 ml缶を飲みなさいということもありました。

ただ、勉強にだけはお金をかけてくれました。欲しいという参考書は買ってくれました。浪人もさせてくれました。そのおかげで私は東大に入れました。親が東大卒でなくても子どもは東大に入れます。

私は、決して頭の回転は速くないのですが、無駄に負けず嫌いの一面があるので、分からない問題にぶち当たると意地でも解いてやろうと思います。分からないということが本当に嫌だったのです。それはそれなりに苦痛を伴いましたが、分かった時の快感が勝っていて、今となっては良い思い出です。

そうして、私は、分からないことが分かるようになる快感にやみつきになり、勉強にどんどん励んでいったのです。しかし、高校3年、センター試験が終わった後から私はスランプに入りました。全然勉強が面白くない。分からないことがあっても全然気にならない。加えて、今の学力じゃ絶対に東大に合格できないと思いました。また、仮に今の学力のまま大学に入っても絶対についていけない。それならば一浪した方がいいとさえ思ってしまいました。高校で勉強したことは100%理解してから大学に入りたい。ある意味で完璧主義だったのかもしれません。

結局、現役の時は合格には10点足りず、不合格。後期試験はセンター試験が1点足りず足きりになってしまいました。それから1か月ぐらいは、自動車学校に行く以外は、ぼーっとしていました。当時、私の中ではアニメブームで、らき☆すたとかをみてぼーっと過ごしていました。はあ、何もしたくない・・・。今思えば、軽く鬱だったんだと思います。友達が現役で合格していくなか、私は浪人なのです。

浪人の立場はつらいです。大学にも必要とされず、高校生でもなく、かといって仕事をしているわけでもなく、利益を生み出せず、本当になんにでもない人。その思いを背負って1年間過ごさないといけませんでした。

予備校に入り、しばらくやる気もなかったのですが、そこはやはり予備校の先生。教え方が上手いです。私が今まで悩んでいたことをいとも簡単に解決してくれました。駿台に通っていたのですが、数学の三森先生、安田先生、五島先生には非常に感銘を受けました。また、化学の石川先生は高校化学の範疇を超えて教えてくれました。英語の竹岡先生が教えてくれた英語の学び方は今でも取り入れています。今でも浪人して良かったと思っています。

何度も、現役の頃に予備校に通っていれば浪人せずとも東大に合格できただろと思いました。やはり、教える人によって全然理解度が違います。

予備校に入って1か月たった後ぐらいに、なんとかモチベーションも回復し、勉強意欲も湧いてきました。土曜日も自習室に行き、勉強するようになりました。それからというもの、休みと決めた日曜日以外は予備校に通い、夜20時まで学習。日曜日にはたかじんのそこまで言って委員会を見て世の中の情勢を知ります。日曜日を除いて勉強、睡眠、風呂、食事以外はしてなかったです。休みと決めた日曜日でもたかじんのそこまで言って委員会を見る以外は、勉強していました。これは壮絶な努力といっていいと思います。

加えて私は完治の術がみつかっていない慢性疾患であるアトピー性皮膚炎を持っていたので、やはり浪人のストレスもあり悪化、つねに体中がちくちく痛い状態でした。さらに、これは後になって分かることですが、気胸という肺に穴があく病気にもかかっており、走ったりすると息切れしたり、左胸がずきずき痛む状況でもありました。とにかく痛い。でもこれは受験のストレスからくるものだと思っていて、受験が終わればこの胸の痛みは治るだろうと思っていました。

模試でも東大模試や難易度の高い模試ではA判定(難易度の低い模試は、私の様な凡ミスする人は良い判定が出にくい。)。大学への数学という雑誌の学力コンテストにも応募し、何度か成績優秀で名前が載ったこともあります。9月ぐらいにはこれはもう合格するだろうと思いました。それでも、それでも私はまだ合格していない。そもそも、2次試験はこれでよくても、センター試験の勉強はしてないので(特に日本史)、安心はできませんでした。とにかく弱点はどこかを考え、集中的に攻略。穴の無いようにしました。

センター試験はあぶない所もありましたが、なんとか突破。1か月後には2次試験です。

 

そして、いよいよ迎えた試験前日。やはりアトピー気胸もあり、夜ベッドに入っても痒いし、痛いし、全然眠れません。とにかくベッドには入っていましたが、目をつぶっても眠れず、朝を迎えました。そんな状況でも確実に合格できるという自信はあったので、落ち着いて試験に挑めました。むしろ、数学なんかは現役のころに比べできて、成長を実感できたので、楽しく受験できました。

今思えば、良くあそこまでできたものだなと思います。それは、東大に入ると何かが変わる、東京に行くと楽しい人生が待っているという盲信があったからだと思います。自分はこんな愛知県の片田舎でずっといてはいけない、もっと広い世界を知るんだ、そこにきっと自分の生きる道があるのだと思っていました。

 

中編へ続く)