とある元SEの思考を探る

ひょんなことからとあるICT企業ではたらくことになったなんちゃって元SEがしたためるブログ。主に、政治・経済・社会問題・日常の出来事について発信していきます。お読みいただけたら、感動にむせび泣くほど嬉しいです。よろしくお願いします。


「筆談ホステス」政界進出から思う

この一週間、めずらしく忙しく残業をしました。私の考えでは多く残業する人は生産性の低い人。なるべく残業はしないようにしています。ただ、今週はシステムテストの最終週であり、システムテスト序盤に障害が頻発、リリースに向けてテスト試験項目消化のため、残業してしまいました。
なお、私の会社の定時は17:30分ですが、18:00までは休憩時間という設定で、19:00以降に打刻しないと残業代はつかないので、19:00直前に打刻すれば残業代はつきません。したがって、私の中の定義では18:59に打刻してもそれは残業をしたことにしていません。サービスサービス!

 

さて、この三日間の間に、あるニュースが飛び込んできました。それは「筆談ホステス」で知られる斉藤りえさんが東京都北区から北区議選に立候補するというニュース。(失礼ながら私はこのニュースで初めて斉藤さんを知りました)ここでは、日本を元気にする会所属の都議会議員である音喜多さんのブログをリンクに貼っておきます。

筆談ホステス、区政へ!私が聴覚障がい者の政界挑戦を応援する理由 | 東京都議会議員 おときた駿 公式サイト

音喜多さんのことは、彼が都議会議員になる前から知っておりまして、彼が立候補した際には選挙も手伝いました。選対会議立ち上げ時からのメンバーです。当時はまだ学生だったので、直前には2週間ほど研究室に行かず北区に通っていた時期がありました。ボランティアでしたが、演説スケジュールの調整、党本部との応援弁士の調整、人員配置等も行っていたため、とある区議からは「え、バイトじゃないの?」「インターン?」とも思われたほどです。

選挙は非常に勉強になる日々でしたが、この話は別の機会に譲るとして、今回の話題は「障碍者とは」ということです。

 

今回、音喜多さんは、斉藤さんを聴覚障碍者であること、元ホステスであること、シングルマザーであること、などをフューチャーしています。

斉藤さんの立候補には賛否両論あると思いますが、個人的には賛成です。少なくとも、今の議会は、自民党しかり、民主党しかり、共産党しかり、公明党しかり、プロ政治家が政治家目線で政治を行っています。社会人になったときから政治の世界という人も少なくありません。そして、組織におんぶにだっこで選挙を行い、当選する。彼らの目が向いているのは国民ではありません。当選させてもらった組織です。

その中で、斉藤さんのような、様々な経験をされた方が政界に挑戦するというのは喜ばしいことです。個人的な思いとしては、是非とも当選して、北区議会に斉藤旋風を巻き起こしてほしい。硬直した区議会にメスを入れてほしい。そんな思いです。

さて、こうした思いがある一方、斉藤さん自体は、その併せ持つ美貌も駆使しながら、ホステスとして働いたり、聴覚障碍者なので筆談して接客するという「筆談ホステス」という異色のネーミングを持ち、さらにシングルマザーでもあり、それらの経験も生かして執筆活動や講演活動を行っているそうです。

これをみると、すなわち、聴覚障碍者であるということを最大限に利用して生きているということです。聴覚障碍者であることに需要があると認識し、仕事をする。これはもはや障碍者と呼べないのではないでしょうか。彼女自身、生活の上で、耳が聞こえない(ある程度読唇術でわかるそうですが)、口がきけないという不便はあれど、それ以外の不便はないのではないでしょうか。

ここで思うのは、障碍者とは何かということです。もちろん、法律上の定義はあると思います。しかし、世の中には、法律で障碍者と定義されていなくても、慢性的な病気を持っているなど苦しんでいる人は多くいます。障碍者には何かしらの手当があったり、社会保障で一定の措置がとられていますが、そうした慢性的な病気で苦しむ人々には特定難病に指定されていない限り、そのような措置はありません。言ってみれば、健康な人と同じような生活はすることができないのに、社会的には健康な人と同じように生きることを求められます。健康な人なら難なくできることが、慢性的疾患をもつ人にはできないことも多いです。

斉藤さんは聴覚障碍者といっても自立して生きています。おそらく障碍者としての何かしらの社会保障も受けられているでしょう。しっかりと働き、自立している障碍者に対しては社会保障があるのに、健常者として生活することを強いられる慢性的疾患で苦しむ人々には手が差し伸べられていないこうした国の歪な制度はいかがなものなのだろうと考えてしまいます。

五体不満足」の著者としても有名な乙武さんも、障碍者であることを生かして注目され、さらにそのイケメンさと聡明さで、スポーツキャスターをしたり、小学校教員をしたり、保育園を経営されたりとマルチな活躍をされています。

障碍者であっても、健常者と同じように、いや、それ以上に、社会で活躍することも可能なのです。

こういことを考えると、いったい障碍者とはなんなのかという気持ちになります。障碍者であるからこそ活躍に注目される。

 

この話題を考えるとき、私はテニスのフェデラー選手の言葉が思い浮かびます。少し前に(錦織選手が活躍する前)日本人記者が「なぜ日本のテニス界には世界的な選手が出てこないのか」という問いに対してフェデラーはこう答えたそうです。

「何を言っているんだ君は? 日本には国枝慎吾がいるじゃないか!」

フェデラー選手は車いすテニスも普通のテニスも一つのテニスとして区別せずに認識しているということなんだと思います。

 

そして最後に、忘れてはいけないのは、斉藤さんにせよ、乙武さんいせよ、国枝選手にせよ、自分の特性を生かして活躍されて私達に認知されていますが、私達からはなかなか気づかれない、障碍を持った方々、慢性疾患で苦しむ方々いるのだということ。本当に実現しなければいけない社会は、そうした人々と健常者を区別して意識することなく、生活でき、障碍を持つことや慢性疾患をもつことに引け目を感じることなく生きていくことのできる社会だと思います。